生誕から家督継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 07:41 UTC 版)
天文17年(1548年)大崎氏11代当主、大崎義直の子として誕生する。伊達稙宗の子大崎義宣が父義直の養子として既に入っていたが、同年終息した天文の乱で立場を失い天文19年(1550年)に殺害されている。その後伊達氏は本拠を米沢に移したため圧力が減じ、葛西氏との領土争いについても優位に立つこととなった。大崎氏当主としての義隆の活動を伝えるもっとも古い文書は、永禄10年(1567年)に家臣に相継いで発給した所領宛行状で、この頃大崎の当主になったと考えられる。
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