生い立ち - 初舞台とは? わかりやすく解説

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生い立ち - 初舞台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 13:58 UTC 版)

水の江瀧子」の記事における「生い立ち - 初舞台」の解説

1915年北海道小樽区(後の小樽市花園町生まれる。8人きょうだい7番目だったが4人が子供の頃死んだため、4人きょうだい末っ子として育つ。出生名三浦ウメ子2歳時に一家東京府千駄ヶ谷(後の東京都渋谷区千駄ヶ谷)、次いで目黒村(後の目黒区)に移り以後同地育った幼少の頃当時まだ田舎だった目黒にあってベーゴマ遊びチャンバラごっこ、洞窟探検などに興じる活発な少女であった1928年東京松竹楽劇部新設に伴う第1期募集新聞広告見た次姉が、ウメ子知らぬ間に入部試験応募ウメ子は「浅草に連れていってあげる」と姉に試験会場まで連れ出され、何も聞かされ言われるがまま試験臨み合格したウメ子何の感慨も湧かず、「学校勉強があまりできなかったから、それよりはこっちの賑やかなほうへ行くほうがいいだろう思ったぐらい」であったという。試験でのウメ子様子については様々な伝聞があるが、『タアキイ -水の江瀧子伝-』の著者中山千夏が「おそらく正確なところを語っている」とする試験委員大森正男次のような回想がある。 初め東京楽劇部の支部出来て女生募集したとき私も試験委員一人として思へばターキー試験したのだつた。その時ターキーがどんな子だつたか、何一つおぼえてゐない。〔中略その時試験委員連中だつてその時今日ターキー見越して採用した人はおそらくあるまいと思ふ。〔中略〕『その頃からターキーにはどつか違つたところがあつた』と云へる程、私はあの頃ターキーについて知るところがない。 入部後は高田雅夫永井三郎洋舞)、花柳日舞)、天野喜久代声楽)、篠原正雄(音楽)に師事しながら10カ月あまりの基礎訓練受けた芸名最初東路 道代(あずまじ みちよ)」であったが、「水の江たき子」の名を授けられ生徒が不満を訴えたことから芸名交換が行われ、「水の江たき子」がウメ子の名となった。この名前は『万葉集』所収柿本人麻呂一首「あしかものさわぐ入り江水の江の 世に住みがたき我が身なりけり」に由来する。後に初めて役が付いた際に、ポスターレイアウト上の都合から「水の江瀧子」となり、以後定着した初舞台1928年12月昭和天皇即位礼合わせ先に発足していた大阪松竹楽劇部が浅草松竹座上演した御大典奉祝レビュー』の中で、奉祝行列山車紅白綱を曳く子供役であった。なお、瀧子初めての舞台化粧施したのは当時大阪松竹所属し、後に「ブギの女王」として国民的歌手となる笠置シヅ子当時芸名は「三笠静子」)で、笠置とは後々まで交流続いた

※この「生い立ち - 初舞台」の解説は、「水の江瀧子」の解説の一部です。
「生い立ち - 初舞台」を含む「水の江瀧子」の記事については、「水の江瀧子」の概要を参照ください。

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