生い立ち、初期の軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/07 01:10 UTC 版)
「イワン・シェスタコフ」の記事における「生い立ち、初期の軍歴」の解説
スモレンスク郊外の村、シロコレニエに貴族の子として生まれる。父アレクセイ・アントノヴィチ・シェスタコフは、ロシア海軍の大尉で艦長を務めた人物である。1830年から1836年までロシア海軍幼年団(海軍幼年学校)に学んだ後、黒海艦隊に配属される。1837年コンスタンチン岬近くの上陸作戦に参加し、功績により勲章を授与され、少尉候補となった。1838年にはコルベット艦「イフゲニア」に乗り組み、再び上陸作戦で殊勲功を立て、功四級聖アンナ勲章を授与された。1841年セヴァストーポリに再び配属され、いくつかの山岳民族との戦闘に参加した。この間、功三級聖スタニスラフ勲章を授与され、ユリウス暦1843年4月11日ミハイル・ラザレフ提督の副官となる。ラザレフの副官を2年務めたシェスタコフは海軍大尉に昇進した。 1845年〜1846年、汽船「ベッサラビア」に勤務。なお、シェスタコフは1847年から1850年にかけてカッター(短艇)スコリー号を駆って、水路研究に当たっている
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