玉川全円耕地整理事業とは? わかりやすく解説

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玉川全円耕地整理事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 09:19 UTC 版)

玉川地域」の記事における「玉川全円耕地整理事業」の解説

玉川地域世田谷区始めとする山の手地域中でも、特に道路網が整備され区域となっている。これは旧玉川村時代行われた耕地整理事業成果である。 1923年玉川村長に就任した豊田正治は、玉川村全村域に相当する約1,000haの耕地整理事業計画(玉川全円耕地整理事業)を発表したその内容農業生産性を向上させるための耕地整理事業というよりも、都市近郊ニュータウン作り上げる都市整備事業に近いものであった幅員22mの幹線道路寺院中心とした公園計画、それら公園同士を結ぶ公園道路パークウェイ)など、当時人口が約7,600人の近郊農村であった玉川村中を騒然とさせる内容だった。 計画発表され当初賛成派反対派激しい対立起こり村内祭礼執り行うことが出来なくなるなどの事態発生したといわれるまた、豊田村長が暴漢切り付けられる事件起こり村長には常に賛成派住民による護衛がつくという物々しい状況にもなった。しかし豊田村長は「わが郷土開発はわれわれ共同の力によって行うべきである」という断固たる意思によって、村内のどの区域除外することなく計画進めた。各工区採算面や着工時期独立性持たせることで事態収拾させ、用地負担少なくするために公園計画廃止道路幅員縮小などを行い当事業は1927年奥沢東地区より着工された。1944年全ての工区竣工したが、登記完了など事業全て完成したのは1954年で、実に31年歳月費やした事業であった耕地整理組合組合長務めた豊田村長は事業完成を見ることなく1948年この世去った現在の高級住宅地としての玉川地域」の素地は、当事業によるところが極めて大きい。これほど規模都市整備事業政府頼らず地元だけの力で成し遂げたのは、日本の都市計画史において特筆すべき快挙といえるのである玉川地域独自性 1947年玉川区の独立実現しなかった。だが、玉川地域民の中には世田谷とは同化したくないという意識はある。玉川地域独自性の例を挙げる玉川地域には「世田谷」と冠した公共施設がない。 医師会玉川地域のみ「玉川医師会」であり、他の地域は「世田谷区医師会」である。 薬剤師会は玉川地域砧地域烏山地域一部が「玉川薬剤師会」であり、その他の地域は「世田谷薬剤師会」である。 電話番号の3ケタ目は、玉川地域以南700番。世田谷を含む4地域400である。 衆議院小選挙区区割りでは、世田谷を含む4地域が「6区に対して玉川地域目黒区と共に5区」である。

※この「玉川全円耕地整理事業」の解説は、「玉川地域」の解説の一部です。
「玉川全円耕地整理事業」を含む「玉川地域」の記事については、「玉川地域」の概要を参照ください。

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