犯罪加害者に対する過剰な擁護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:28 UTC 版)
「人権屋」の記事における「犯罪加害者に対する過剰な擁護」の解説
日本において、凶悪な犯罪の加害者の擁護者に対し、その主張が理不尽であるとする場合。 「光市母子殺害事件」および「全国犯罪被害者の会」も参照 例えば、刑事裁判において凶悪犯罪の疑いで起訴された被告人を担当する弁護士は、何らかの要素をもって刑の減軽を試みることが多い。刑事裁判における弁護人はあくまで被告人の権利の保障をする者であり、被告人の人権(利益)を第一として行動するのが近代刑事司法システム上の責務であることから、これは業務上の当然の行為であるが(刑事訴訟法に基づき、必要的弁護事件では被告弁護人ポストが空席の場合刑事裁判は進行することが出来ない)、被害者側に感情移入する側からは「人権」を自らの都合のいいように曲解しているとして批判される場合がある。 しかし、刑事裁判の目的は適正手続と適正科刑の両立であり、法システム自体が「被告人の人権」を守ることを前提としている。これは歴史的に見ても刑事裁判が権力者により悪用されてきたという背景があるためである。そのため、刑事訴訟の場において被告人の本来的な人権を様々なシステムを用いてでも守ることは当然であり、弁護士が被告人の本質的な人権を保護することもまた正当な業務である。犯罪被害者の立場に立った感情的批判による「人権屋」という概念は、往往にして、通常保護されるべき権利をも否定するものになりやすい。被告人が有する本来的な権利との区別を十分に検討することが重要である。また、悪意を持った弁護士の追及する「人権(利益)」と、本来的な弁護士が追求する「人権」という概念を冷静に区別することも重要である。 「人権屋」と非難される場合、“過剰な加害者擁護は場合によっては事件の被害者(ひいては、被害者となりうる国民全体)の人権を侵害しかねないものであり、大局的なバランスを欠く”という意見と共に用いられる場合が多い。だが被告人の有する本来的な人権を過剰に擁護したとしても、それが直ちに事件の被害者の人権を侵害するということはできない。 法理念上、被告人の利益と被害者の利益は別個のものであり、ともに保障されるべきものである。刑事訴訟法学の歴史的経緯において被告人の利益を守ることが重要課題とされてきたため、事件の被害者の人権を守る法整備が未発達であるという社会的背景がある。人権を擁護する弁護活動が“直接的に”被害者の人権を侵害するとすることはできず、注意を要する。慎重かつ冷静な判断が重要である。 弁護士は日本弁護士連合会への加入が義務となるが、当の日弁連が死刑廃止のスタンスを主張しており(一応思想などの派閥は存在する)、犯罪加害者を弁護する者がすべて人権屋であると取られかねない状況になっているのも現状である。ただし当然の事であるが、弁護士にも個々で様々な思想・信条が存在する為、犯罪加害者を弁護する弁護士がすなわち人権屋ではない事に留意すべきである。
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