父母の描写
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:49 UTC 版)
幼いリアドは父親を英雄視するが、アブデル・ラザックの描かれ方は単純ではない。高等教育を受け、高い理想を持ち、愛情深い父親でもあると同時に、シリア社会の偽善性、性差別、人種差別を受け入れてもいる。妻と子供に対しては父権的に振る舞う一方で、母親や兄との関係では幼児のようになる。世俗的な近代人として酒や豚肉を口にするが、息子にはコーランの読み方を学ぶように言う。このような父の姿は本作の大きな部分を占めている。作者は「父の中にあった近代と因襲のパラドックスを表現したかった」と述べており、良い面も悪い面もそのまま描いたという。アブデル・ラザックは自尊心を傷つけられたときに「鼻をかき、匂いをかぐ」癖があり、物語が進むにつれて何度もその姿を見せることになる。 アブデル・ラザックは欠点こそ多いが魅力ある興味深い人物だとする批評家は多く、アダム・シャッツは『ニューヨーカー』誌でこう書いている。「ユダヤ人、アフリカ人、そして何よりシーア派への暴言を考えに入れても、[アブデル・ラザックには]奇妙な愛らしさがある。アラブのアーチー・バンカー(英語版)といえる」「本書の大きなドラマは、リアドの冒険ではなく、その父親がゆっくりと伝統に屈していく姿にある」 ライラ・ララミ(英語版)はニューヨーク・タイムズ紙への寄稿でサトゥフの父親アブデル・ラザックの描かれ方を取り上げ、若い理想主義者から権威主義的な、しかし無力な偽善者への紆余曲折を論じた。 母親の描写があっさりしている点は作品の短所として挙げられることもある。作者によると現実の母親は、その世代の多くと同じく主婦として家庭を守ることを良しとする女性だった。彼女はブルターニュのカトリック家庭に生まれ育ったが、結婚してからは夫の決断に従ってリビアやシリアに同行し、現地のイスラム社会に混じって生活した。作中のクレモンティーヌも積極的な役割を果たすことは少ないが、家族の中では冷静な存在として描かれており、カダフィの政治思想に共鳴する夫に目を丸くする様子は『ザ・シンプソンズ』のマージに例えられている。アーシュラ・リンゼイはアラブ社会の不合理を内部から観察するクレモンティーヌが西洋人読者の視点を代理していると述べた。
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