爬虫類の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:07 UTC 版)
「リチャード・オーウェン」の記事における「爬虫類の研究」の解説
爬虫類において、絶滅種の骨格に関する著作のほとんどと、英国産標本に関する主要な論文は、関連づけてまとめられて4巻からなる"History of British Fossil Reptiles" (1849–1884)の中に再掲された。彼はまた、両生類と哺乳類両方に類似点を持つ様に見える奇妙な中生代初期の陸上爬虫類を初めて認め、自ら異歯類(異歯亜目)と名付けた。ディキノドン (Dicynodon) を初めとするそのほとんどは1845年の始めに南アフリカで発見されたもので、最終的に彼の著書"Catalogue of the Fossil Reptilia of South Africa" (1876)の題材となり大英博物館から発刊された。 彼の業績として現在もっとも広く知られているのは、中生代の陸上爬虫類のあるグループについて、そのグループについての最初の概略的報告とともに命名をしたことだろう。1824年にウィリアム・バックランドが報告したメガロサウルスと1825年にギデオン・マンテルが報告したイグアノドンは、当初バックランドが考えていたように「大型のトカゲ目」動物だと見なされていた。しかしその後、ヒラエオサウルス(1832)、テコドントサウルス(1836)、プラテオサウルス(1837)など、多くの同類が発見され、オーウェンはこの中生代大型爬虫類に興味を持った。メガロサウルス・イグアノドン・ヒラエオサウルスの3種を特に徹底的に調べた結果、オーウェンはこれらの動物が共通の特徴を持ち、既存のどのグループにも属さないことを明らかにした。オーウェンは「…これらの爬虫類には別の族か亜目を設ける充分な理由があると考えられる。私はこれにDinosauria(恐竜亜目)という名称を提唱する」と報告した。これが「恐竜」という言葉の始まりである。恐竜亜目はそののち恐竜目に昇格した後、ハリー・ゴーヴィア・シーリーによって鳥盤目と竜盤目に分割され、分類学用語としてはその後長らく消滅したままだった。しかし、一般への普及は他の科学用語の追随を許さず、今日では誰でも知っている言葉となっている。また、シーリーの時代には不明であった竜盤目と鳥盤目の単系統性も今日ではほぼ明らかになっており、分類群の名称としての「恐竜」という名称も復活している例がある。 1851年に世界で初めて開催されたロンドン万国博覧会において、高名な彫刻家ベンジャミン・ウォーターハウス・ホーキンスは恐竜が生きていたときの姿そのままの実物大の像を数点制作し、ロンドン万国博覧会の目玉としてハイド・パークに建てられていた水晶宮が南ロンドンのシドナムの広大な敷地に移設されるさい、さらに33点の絶滅動物の実物大復元像を追加制作した。オーウェンはこの復元模型の製作の責任者・監督者であった。オーウェンの注意深い監督と監修のもと、恐竜をはじめとして、魚竜、首長竜、両生類、哺乳類などが当時の知識の全てを元にした姿で復元されていた。像の完成間近の1853年の大晦日、オーウェンは科学界の著名な21人を招待し、建造途中のコンクリート製のイグアノドンの体内で晩餐会を主催した。四方にキュヴィエ、バックランド、マンテル、オーウェンの名を掲げた天幕の内側で少々窮屈そうにイグアノドン内部に列座する晩餐の席の図が残されている。
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