災害事故の頻発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 03:25 UTC 版)
「モリー・マグワイアズ」の記事における「災害事故の頻発」の解説
坑夫たちの賃金は低く、労働環境はひどいもので、死者や重傷者の数は毎年何百人にも上っていた。1869年9月6日、ペンシルベニア州ルザーン郡アボンデールの炭鉱で発生した火災は、110人もの炭坑夫の命を奪った (Avondale Mine Disaster)。遺族たちは、予備の脱出口のために費用支出をしていなかったとして、石炭会社を非難した。 ...炭鉱の所有者たちは、ひとりの例外もなく、何年もの間、非常時の脱出口や、換気や排水の設備を設けたり、しっかりした足場をめぐらすといったことを拒んでいた。スクールキル郡だけで、7年間で566人の坑夫が事故で落命し、1,655人が重傷を負っていた... 坑夫たちは、上がっていく稼働速度にも消耗させられていた。1877年11月号の「ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン (Harper's New Monthly Magazine)」は、坑夫にインタビューした記者の次のようなコメントを載せている。 ひとりの坑夫の話では、坑内では食事をとる時間もなく、持ち込んだ食べ物に手をつけずに戻ってくることもしばしばだという。自分が担当する炭車を、運搬係が回収に来るまでにいっぱいにしておかないと、7台を一杯にすることが1日のノルマとされているうちの1台逃すことになってしまうのだ。 アボンデール炭鉱で火災の犠牲者の遺体が回収されてきたとき、スクールキル郡労働者共済組合 (Workingmen's Benevolent Association of Schuylkill County, WBA) の代表だったジョン・サイニー (John Siney) は、周辺地域から集まってきた何千もの坑夫を前に、荷馬車の上に登って話しかけた。 諸君。もし、ブーツを履いたまま死ぬべき運命なら、家族のため、故郷のため、祖国のために死のう。だが、罠にかかったネズミのように、諸君が使うツルハシほどにも、諸君に関心をもたない連中のために死ぬのは、もう止めにしよう。 サイニーは坑夫たちに、労働組合への参加を呼びかけ、数千人がその日のうちに組合に結集した。 坑夫たちの中には、さらに偏見や迫害にさらされる者もいた。1840年代から1860年代にかけて、2万人のアイルランド系労働者がスクールキル郡にやってきた。当時、炭田地域は、暴力や殺人の横行する時代であり、その一部はモリーズの犯行だった。
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