漢字かな交じり文の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:12 UTC 版)
「日本語の表記体系」の記事における「漢字かな交じり文の意義」の解説
古い時代の日本に中国大陸より漢字と漢文が伝わり、その漢文を日本語として理解するために漢文訓読という方法が講じられた。現在の漢字かな交じり文はこの漢文訓読が源流のひとつになっている。その漢字かな交じり文に必要な仮名が世に現れる以前には、文の表記についていろいろな試みや工夫があった。 『万葉集』はその原文を見ればわかるように、本来全て漢字で記されており、基本としては詞書が「漢文」であり肝心の和歌は借字を用いた表記になっているが、その和歌のなかには今でいう「訓読み」を交えたものがある。その本文は見た目には漢字の羅列である。使われている漢字が借字なのか、または「訓読み」として読めばいいのかを区別するための手がかりは、韻文である和歌の五音や七音の音数律に拠ることになる。 熟田津尓舩乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜 これは『万葉集』で「にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな」と現在訓読されている和歌の原文である。この文では「熟田津」「舩(船)乗」「月待」「潮」「今」が訓読みで、それ以外が借字で記されているが、もしこの24字の漢字の羅列が和歌であることを前もって知らなければ、何が書いてあるのかわからないし、当然訓読みと借字の区別もつかない。和歌なら五七五七七と句が分かれているので、それに当てはめてみて何とか内容を読むことができる。しかし散文では五音や七音に語句を当てはめることは出来ないので、こころみに散文で借字に「訓読み」を交えた文を書いたとしても、はじめてそれを読まされる側にとっては、内容を読んで理解することは不可能に近い。そうした困難を避けるために作られたのが「宣命書き」である。これは漢字の語句の間に、助詞や送り仮名などを小さい借字で書き添えるという形式である。また『古事記』には文中に、「この文字は借字として読め」という意味の割注を付けて読ませる方法が見られる。 仮名(平仮名・片仮名)の登場は、そのような状況を一変させた。仮名は借字である漢字から作られたものであるが、もともとの漢字の字形を草書よりももっと崩したりまたは略したりすることによって、そこに漢字を加えても仮名と区別が出来るようになった。平安時代以降、仮名で記された文学作品が多く作られるようになるが、上でも述べたようにそれらはすべてを仮名で記していたわけではなく、ある程度漢語や漢字を交えて書くようになっていた。それができたのも漢字と仮名が見た目の上で区別できたからであり、これは漢字片仮名交じりの文の場合でも同様である。そして時代が下ると『平家物語』などのように、漢語を多用する漢文訓読ふうの文も綴られるようになった。 仮名の登場によって日本語の繊細な表現を記すことができるようになったといわれるが、漢字と仮名の区別が漢字かな交じり文の成立を可能にさせ、その漢字かな交じり文の発達が、明治以降の和製漢語を生む土壌を作った。漢字かな交じり文は現在でも日本語の表記体系のなかで重要な地位を占めている。
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