清音と半濁音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 14:10 UTC 版)
詳細は「唇音退化」、「ハ行転呼」、および「半濁音」を参照 ハ行の子音は、遠い上古の時代には [*p] 音であった可能性が高いと言われている。 この音は語頭・語中を問わず頻繁に出現するものだったが、その出現位置(環境)によってそれぞれに異なる変化をたどることとなったため、これを分別して考えるとわかりやすい。 語頭では定説として、奈良時代には [ɸ] 音(ファフィフフェフォのような音)になっていたとされる(異説として、奈良時代に[p]、平安時代から[ɸ]とする説もある。 また奈良時代には一部が[p͡ɸ](バ行の一部は[b͡β])と推定する人もいる)。 [ɸ]音はその後長く続いた。 17世紀初めにポルトガル人らによって編纂された『日葡辞書』を見ると、「母」は faua または fafa 、「人」は fito、「花」は fana というように、ハ行の音写に f を用いていて、[ɸ] 音であったことを示す確実な証拠のひとつとされている。 その後、江戸時代前期にもう一段の唇音退化を生じ、「フ」以外は唇音性を完全に失い、「ハヒフヘホ」を以て [ha çi ɸɯ he ho] と記述されるような、現在の音形が出来上がっていった。 「ン」や「ッ」の後では平安時代になると漢字音を描写する必要から、撥音「ン」や促音「ッ」といった音が新たに日本語に取り込まれた。これ以降、撥音や促音の後にハ行音が来るケース(たとえば「憲法」「説法」など)では、自然とハ行音を [p] 音で発音するようになったと考えられる。 これらの [p] 音は当初は /.mw-parser-output span.smallcaps{font-variant:small-caps}.mw-parser-output span.smallcaps-smaller{font-size:85%}f/ の異音であった可能性が高いが、やがて独立の音素 /p/、すなわち「半濁音」としての地位を獲得していった。 同時に、とくに「促音+ハ行音」の形は和語にも広まり、やがて、「葉っぱ」「しょっぱい」「ひっぱる」「すっぽり」「~っぽい」など後の日常語にはばひろく使われていくこととなった。 こうした変遷の一例を挙げるなら、たとえば「あはれ」(あわれ) /afare/ という語は、当初は [aɸare] のように発音されたと考えられるが、促音が一般化すると、感極まったような時に現れる音の“溜め”が促音 /q/ として固定され、さらにその影響で [ɸ] から変化した後続音 [p] が /p/ として独立して、「あっぱれ」 /aqpare/ という新しい語形が定着するに至っている。 その他の場所では語頭と同様に奈良時代頃(または平安時代初めまで)に [ɸ] 音に転じたが、平安時代から鎌倉時代にかけてハ行転呼と呼ばれる大規模な弱化現象を生じ、ワ行へ合流するに至った。 その後はワ行に起きた変化を被り、「は」 /wa/ および「ふ」/*wu/ > /u/ は形を保ったものの、「ひ」 /wi/、「へ」 /we/、「ほ」 /wo/ はさらに唇音を失い、「イ、エ、オ」に合流して今に至っている。 なお、ハ行転呼が起きて以降も、綴りの上では長い間ハ行音が遺されていた。これはいわゆる歴史的仮名遣いというものであるが、たとえば「障り」「思う」「前」「遠し」を「さはり」「おもふ」「まへ」「とほし」などと書いたのは、遠く遡ればハ行音を用いていたことの名残であった。 今でも、助詞の「は」「へ」にだけはハ行の字が遺されている。 こうした各種の変化の結果、現在の大和言葉においては、ハ行音は基本的に語頭(上記 1. のケース)にのみ現れるものとなっている。
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