洗礼者聖ヨハネ教区教会
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「ボルゲントライヒ」の記事における「洗礼者聖ヨハネ教区教会」の解説
洗礼者聖ヨハネ教会にはボルゲントライヒの歴史的なバロックオルガンがある。この楽器は17世紀にダルハイム修道院(リヒテナウ)の修道院教会のために建造された。世俗化に伴ってダルハイム修道院が閉鎖され、その財産は売却された。これによりオルガンは、プロイセン国王の許可を得て、ボルゲントライヒに売却され、オルガン製作者イスフォルディングによって移設された。
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洗礼者聖ヨハネ教区教会
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「ゾイリンゲン」の記事における「洗礼者聖ヨハネ教区教会」の解説
現在のゾイリンゲン教区教会は、この集落の3代目の教会である。1986年に行われた考古学的発掘は、ロマネスク様式のホール建築とゴシック様式のホール式教会が昔あったことを示している。当時の建物は、現在の教会の西側にあり、交差ヴォールトの方形内陣、一部に2階席を有していた。全長は約 19 m であった。13世紀に、この古い教会堂が焼失した後、新しい教会が建設された。住民は多角形に窪んだ内陣と方形の塔を持つ、以前よりも拡張されたゴシック様式のホール教会を手に入れた。教会の全長は 30.5 m となった。三十年戦争でこれが破壊された後、1685年から1687年に3代目の教会堂が建設された。イタリア人建築家ドミニクス・バラットが建設責任者であった。先代の教会塔は遺され、バロック様式の教会となった。1869年に翼廊、聖具室、半円形のアプシスを有する内陣が増築された。現在の教会堂には、一部では荒石で造られたバロック様式の壁や、またある部分ではネオロマネスク様式のブンテル砂岩の壁からなるファサードが見られ、それぞれの建築部分の構成を物語っている。遺されていた塔は、1996年に銅の屋根が葺かれたが、教会の内部には平らな格天井が見られ、何度も塗り替えられた壁絵がある。元々ネオロマネスク様式の装飾が創られ、1879年に完成したが、1924年にユーゲントシュティール様式のものに置き換えられた。また、以前嵌め込まれていたハノーファーのヘンニングとアンドレアスのステンドグラスに替えて1977年に抽象的な図柄の窓となった。このような様式の混在は、教会の様々な所有物に見られる。1869年に造られたネオロマネスク様式の主祭壇には1687年の日付があるバロック様式の祭台がある。さらに教会内には、バロック祭壇の断片、説教壇、17世紀初めの悲しみの祭壇、ヨセフとマリアの像、等身大よりも大きな十字架磔刑像や17世紀のマリア像がある。マリアの戴冠を描いた絵画は、1694年にアシャッフェンブルクの宮廷画家ドミニクスが描いたものである。砂岩製の洗礼盤は1630年に造られたルネサンス様式であるが、上部にはバロック様式の渦巻き装飾が施されている。
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