沈約とは? わかりやすく解説

しん‐やく【沈約】

読み方:しんやく

441513中国南北朝時代詩人学者。武康(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は休文。宋・斉に仕えたのち、(りょう)の武帝仕えた詩文をよくし、また音韻理論研究し詩八病(しはちへい)説を唱えた。その詩は永明体よばれる。著「宋書」「四声譜」など。


ちん‐やく【沈約】

読み方:ちんやく

しんやく(沈約)


沈約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 22:40 UTC 版)

沈 約(しん やく、元嘉18年(441年)- 天監12年閏3月11日513年5月1日))は、中国南朝を代表する文学者政治家休文本貫呉興郡武康県(現在の浙江省湖州市徳清県)。

生涯

沈璞の子として生まれた。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、南朝宋の3朝に仕えた。南朝斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の南朝梁の武帝)の挙兵に協力し、南朝梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このためは、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。

著作・文学作品

歴史書では『宋書』および『晋書』『斉紀』を編纂した。の分野では同じ「八友」の仲間である謝朓王融らとともに、詩の韻律・形式美を自覚的に追求し、「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。その理論として四声(平・上・去・)・八病の説を唱えた。南朝の同時代の文壇において最も重きをなし、無名であった劉勰が『文心雕龍』を世に出そうとした時には、沈約に見せて評価を求めたという。『梁書』本伝によると彼の文集は100巻あったというが散逸し、現在伝わる文集は明代以降に再編集されたものである。

文献

  • 『梁書』 巻13、中華書局 
  • 『南史』 巻57、中華書局。 

日本語書籍

  • 興膳宏 編『六朝詩人傳』大修館書店、2000年。 原典訳注、大著
  • 興膳宏 編『六朝詩人群像』大修館書店〈あじあブックス〉、2001年。 列伝、木津祐子が担当
  • 網祐次『中国中世文学研究―永明文学を中心として―』新樹社、1960年。 
  • 興膳宏『乱世を生きる詩人たち―六朝詩人論―』研文出版、2001年。 
  • 今場正美『隱逸と文學―陶淵明と沈約を中心として―』朋友書店、2003年。 
  • 稀代麻也子宋書のなかの沈約 生きるということ』汲古書院、2004年。 

脚注

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