しん‐やく【沈約】
読み方:しんやく
[441〜513]中国、南北朝時代の詩人・学者。武康(浙江(せっこう)省)の人。字(あざな)は休文。宋・斉に仕えたのち、梁(りょう)の武帝に仕えた。詩文をよくし、また音韻理論を研究し、詩八病(しはちへい)説を唱えた。その詩は永明体とよばれる。著「宋書」「四声譜」など。
ちん‐やく【沈約】
読み方:ちんやく
⇒しんやく(沈約)
沈約
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二十四史 |
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二十四史 |
司馬遷『史記』 |
班固『漢書』 |
范曄『後漢書』 |
陳寿『三国志』 |
房玄齢等『晋書』 |
沈約『宋書』 |
蕭子顕『南斉書』 |
姚思廉『梁書』 |
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魏収『魏書』 |
李百薬『北斉書』 |
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李延寿『南史』 |
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劉昫等『旧唐書』 |
欧陽脩・宋祁『新唐書』 |
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欧陽脩『新五代史』 |
脱脱等『宋史』 |
脱脱等『遼史』 |
脱脱等『金史』 |
宋濂等『元史』 |
張廷玉等『明史』 |
二十六史 |
柯劭忞等『新元史』 |
趙爾巽等『清史稿』 |
その他 |
班固・劉珍・蔡邕等『東観漢記』 |
中華民國版『清史』 |
中華民國版『新清史』(未完) |
中華人民共和国版『清史』 |
沈 約(しん やく、元嘉18年(441年)- 天監12年閏3月11日(513年5月1日))は、中国南朝を代表する文学者、政治家。字は休文。諡は隠。本貫は呉興郡武康県(現在の浙江省湖州市徳清県)。
生涯
沈璞の子として生まれた。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、南朝宋・斉・梁の3朝に仕えた。南朝斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の南朝梁の武帝)の挙兵に協力し、南朝梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。このため諡は、当初「文」とされるところを武帝の命により「隠」とされた。
著作・文学作品
歴史書では『宋書』および『晋書』『斉紀』を編纂した。詩の分野では同じ「八友」の仲間である謝朓・王融らとともに、詩の韻律・形式美を自覚的に追求し、「永明体」と呼ばれる詩風を生み出した。その理論として四声(平・上・去・入)・八病の説を唱えた。南朝の同時代の文壇において最も重きをなし、無名であった劉勰が『文心雕龍』を世に出そうとした時には、沈約に見せて評価を求めたという。『梁書』本伝によると彼の文集は100巻あったというが散逸し、現在伝わる文集は明代以降に再編集されたものである。
文献
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- 『梁書』 巻13、中華書局。
- 『南史』 巻57、中華書局。
日本語書籍
- 興膳宏 編『六朝詩人傳』大修館書店、2000年。原典訳注、大著
- 興膳宏 編『六朝詩人群像』大修館書店〈あじあブックス〉、2001年。列伝、木津祐子が担当
- 網祐次『中国中世文学研究―永明文学を中心として―』新樹社、1960年。
- 興膳宏『乱世を生きる詩人たち―六朝詩人論―』研文出版、2001年。
- 今場正美『隱逸と文學―陶淵明と沈約を中心として―』朋友書店、2003年。
- 稀代麻也子『宋書のなかの沈約 生きるということ』汲古書院、2004年。
脚注
外部リンク
沈約と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- >> 「沈約」を含む用語の索引
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