江西省 (中華民国)とは? わかりやすく解説

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江西省 (中華民国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 02:33 UTC 版)

中華民国 江西省
← 1912年 - 1949年
江西省の位置
江西省の位置
簡体字 江西
繁体字 江西
拼音 Jiāngxī
カタカナ転記 ジャンシー
国家 中華民国
行政級別
政府所在地 南昌県1912-1938
南昌市1938-1949
建置 1912年
消滅 1949年 
面積
- 総面積 165,258 km²
人口

江西省(こうせいしょう)は、かつて中華民国に存在した。現在の中華人民共和国江西省に相当する。

管轄区域

東は浙江省、北は安徽省及び湖北省、西は湖南省、南は広東省に接していた。

行政沿革

1911年宣統3年)、辛亥革命が勃発すると省域には多くの軍政府が設置された。主要なものとしては10月24日に九江新軍による九江軍政分府が、11月1日には南昌新軍により南昌軍政分府が設置されている。これ以外にも袁瑞臨三路都督、鄱陽都督、贛州都督、萍郷都督などが成立している。1912年民国元年)、各軍政府は解体され、江西都督が全省の軍政を掌握、12月には民政長を任命し下部に内務、財政等の各司が設置されている。1914年(民国3年)5月、民政長は巡按使と、1916年7月には省長と改称されている。

1916年(民国15年)11月12日、国民党江西省党部は江西省臨時政治委員会を組織したが、3月26日には武漢国民政府により江西省政府が設置され、2つの行政組織が並存することとなった。9月、武漢政府が南京政府に合流すると、江西省は南京国民政府に帰属した。

1937年(民国26年)、日中戦争が勃発すると江西省は日本軍により占領、汪兆銘政権の統治下におかれた。1945年(民国34年)の日本の敗戦と汪兆銘政権の崩壊により中華民国は施政権を回復したが、1949年(民国38年)5月22日に省会の南昌市中国共産党により「解放」され、中華民国は実効支配権を喪失している。

省会

省会は当初南昌県に設置されたが、1938年(民国27年)以降は南昌市に移された。

歴代省長

氏名 就任日 退任日
1 李烈鈞 1912年3月 -
2 黎元洪 1913年6月 -
3 李純 1913年9月 -
4 陳光遠 1917年8月 -
5 蔡成勲 1922年6月 -
6 方本仁 1924年12月 -
7 鄧如琢 1926年3月 -
8 鄭俊彦 1926年10月 -
9 朱培徳 1927年4月 -
10 魯滌平 1927年9月 -
11 熊式輝 1931年12月 -
12 曹浩森 1942年2月 -
13 王陵基 1946年3月 -
14 胡家鳳 1948年4月 -
15 方天 1949年1月 -

行政区画

道制

民国建国当初は清代の道は廃止され、1913年(民国2年)8月に贛北道、1914年(民国3年)4月に贛南道が設置された。同年5月、道制の施行に伴い贛南、潯陽、豫章、廬陵の4道が設置された。1927年(民国16年)、北伐軍が江西省を占領すると道制は廃止されている。

県級行政区画

中華人民共和国成立直前の管轄行政区画は下記の1市81県。(50音順)

行政督察区

脚注

関連項目


前の行政区画
江西省
江西省歴史的地名
1912年 - 1949年
次の行政区画
江西省



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