江戸の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 00:31 UTC 版)
南町・北町奉行所には与力が各25騎、同心が各100人配置されていたが、警察業務を執行する廻り方同心は南北合わせて30人にも満たず、人口100万人にも達した江戸の治安を維持することは困難であったため、同心は私的に岡っ引を雇っていた。岡っ引が約500人、下っ引を含めて3000人あまりがいた。 奉行所の正規の構成員ではなく、俸給も任命もなかったが、同心から手札(小遣い)を得ていた。同心の屋敷には岡っ引のための食事や間食の用意が常に整えてあり、いつでもそこで食事ができたようである。ただし、岡っ引を専業として生計を立てた事例は無く、女房に小間物屋や汁粉屋をやらせるなど家業を持った。 『半七捕物帳』や『銭形平次』などの時代劇で、岡っ引は十手を常時預かっているように描かれているが、実際は奉行所の要請に基づき事件のたびに奉行所へ取りに行った。携帯する際も周囲から見えるような帯差しはせず、テレビ時代劇『新五捕物帳』が描いた様に懐などに隠し持ち、盗まれたりしないようにした。時代劇で十手に房が付いていることがあるが、房は同心以上に許されるもので岡っ引の十手には付かない。『伝七捕物帳』の黒門町の伝七の様に、奉行から十手を拝領する小者でも紫色の房の十手は持つ事は出来ず、十手に紫色の房を付ける者は要職だけで、岡っ引が付ける事は無い。紫の房が付けられた十手は捕物で武器として使用する物では無く、式典の時に携帯する物である。此の役職の者の身分証明や議員バッヂの様な意味合いの物であって、普段やたらに持ち歩く物では無かった。伝七の下っ引きや、仲間の御用聞きの五平親分等の携帯する十手には、雇い主の同心と同じ朱房が付けられた十手を携帯しているが、御用聞きが房を付けた十手を持つ事は、本来は禁止されている。 半七捕物帳を嚆矢とする捕物帳の探偵役としても有名であるが、実態はかなり異なる。推理小説研究家によっては私立探偵と同種と見る人もいる(藤原宰太郎など)。
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