江戸の名主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:30 UTC 版)
江戸の町の本来の構成員は家持=町人であり、名主はその町の代表者であった。しかし、江戸では家持層が早くから不在となる場合が多く、17世紀末には町の名主は姿を消してしまう。町の名主に代わり、家持の代理人=家守(やもり)の代表である月行事(がちぎょうじ)が町を代表するようになる。 江戸の町名主には町が町奉行支配区域である御町中になった時代により、次の4つの区分があったという。 草分名主:慶長年間の町割により町となったか、または天正以前からあった村が御町中に編入されたものの名主。 古町名主:正徳3年以前に移管によって代官支配から町奉行支配になった町の名主。 平名主:正徳3年以降に移管によって代官支配から町奉行支配になった新市街の名主。これらの町をそれ以前の町に対して「新町」という。 門前名主:寺社奉行から町奉行へ移管した町の名主。
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