江戸のタンチョウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:09 UTC 版)
「鶴御成」も参照 江戸時代には、江戸近郊の三河島村(現在の荒川区荒川近辺)にタンチョウの飛来地があり、手厚く保護されていた。タンチョウは毎年10月から3月にかけて見られたという。江戸幕府は一帯を竹矢来で囲み、「鳥見名主」のほか給餌係、野犬を見張る「犬番」を置いた。給餌の際はささらを鳴らしてタンチョウを呼んだが、タンチョウが来ないときは荒川の向こうや西新井方面にまで探しに行ったという。タンチョウは午後6時頃から朝6時頃まではどこかへ飛び去るので、その間は矢来内に入ることを許された。近郷の根岸、金杉あたりではタンチョウを驚かさないように凧揚げも禁止されていたという。 こうした“鶴御飼附場”では将軍が鷹狩によって鶴を捕らえる「鶴御成」も行われた。
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