江戸に数多く出店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)
「太田近江大掾藤原正次」の記事における「江戸に数多く出店」の解説
近江国栗太郡辻村は江戸時代に鋳物師を数多く輩出し、彼らが全国各地に店を出すことで栄え、その足跡は秋田県から山口県まで広範囲に及んでいる。 中でも多かったのが関東方面に出向いた鋳物師で元禄年間に55人を数える。当初は江戸芝田町(現・港区)、のちに江戸深川(現・江東区大島)に店を持った太田六右衛門と田中七右衛門が代表格で、江戸町人から「釜六」「釜七」の俗称でよく知られた。2人はいとこの関係にあり、共に長者番付けの常連で、幕府御用の鋳物師も務めた。他にも田中治左衛門・田中七左衛門・田中喜右衛門・田中吉左衛門・寺田次良兵衛が江戸で活躍した。 江戸の梵鐘数は西村家が鋳造した97口、粉川または粉川屋による90口に次ぎ、辻村出身者作の鐘が多く、太田姓が72口、田中姓が65口を鋳造したとされる。
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