江戸に出てから学問を始めるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:25 UTC 版)
「塙保己一」の記事における「江戸に出てから学問を始めるまで」の解説
宝暦10年(1760年)、15歳(年を二つ引いて13歳と記している場合もある)で江戸に出、永嶋恭林家の江戸屋敷のもとに身を寄せる。約3年間を盲人としての修業に費やし、17歳(2歳引くと15歳)で盲人の職業団体である当道座の雨富須賀一検校に入門し、名を千弥と改め、按摩・鍼・音曲などの修業を始めた。しかし生来不器用でどちらも上達しなかった。加えて、座頭金の取り立てがどうしても出来ず、絶望して自殺しようとした。自殺する直前で助けられた保己一は、雨富検校に学問への想いを告げたところ「3年の間たっても見込みが立たなければ国元へ帰す」という条件付きで認められた。
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