江戸の瓦葺きの始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:53 UTC 版)
巻1「江戸町瓦ふきの事」に、慶長6年(1601年)11月2日に駿河町の「かうのじゃう」から出火した火災で江戸町が焼亡し、御奉行衆が板葺きにするよう指示した折、本町2丁目の滝山弥次兵衛が海道に面した屋根の半分を瓦で葺き、後ろを板葺きにしたため、「半瓦弥次兵衛」と呼ばれた、としており、「今は江戸町さかへ皆瓦ふきとなる」云々とあることについて、1924年の高橋仁「慶長見聞集について」は、江戸で瓦葺が普及したのは正保の頃(1645年 - 1648年)というのが定説であり、慶長年間に普及した(のち一度すたれた)とは考えられない(故に『見聞集』は後世の偽書である)と指摘した。(これも「今」が寛永後期であれば正保期からそれほど遡らない)
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