見聞集
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『見聞集』(けんもんしゅう)は、寛永後期に三浦浄心によって著された、江戸初期の世相や出来事を主な話題とした仮名草子。全10巻。『三浦見聞集』(みうらけんもんしゅう)『慶長見聞集』(けいちょうけんもんしゅう)とも。浄心の子孫の家に秘書として伝えられ、化政期の三浦義和の頃から伝写により流布。明治以降、翻刻が多種刊行されている。作中に作品当時が慶長19年(1614年)と記載があるため「慶長」の語が冠されることが多いが、これは(幕政批判に対する干渉を避けるための)擬態で、実際の作品成立時期は寛永後期と考えられている(#成立時期を参照)。近年に至るまで、作品当時を慶長19年と解釈したことに起因する混乱が江戸時代研究関係各所で見受けられる。
- ^ a b c d e f g 山崎美成『海録』巻18の65「見聞集評」
- ^ a b 大澤学「三浦浄心の著作における慶長19年」
- ^ 山崎美成『海録』、水江漣子「初期における江戸の住民意識」、大澤学「三浦浄心の著作における慶長19年」など
- ^ 水江漣子「三浦浄心について」吉川弘文館『日本歴史』1988年4月、29-31頁
- ^ 辻善之助「慶長見聞集辨譌」147-148頁
- ^ 水江漣子「初期における江戸の住民意識」17頁、大澤学「三浦浄心の著作における慶長十九年」21頁
- ^ 鈴木棠三校注本593-594頁 注43
- ^ a b c d 辻善之助「慶長見聞集辨譌」148-150頁
- ^ a b c d e f g 小野晋「そぞろ物語 翻刻と解説」29-31頁
- ^ 『仮名草子集成 第57巻』87頁
- ^ a b 水江「初期における江戸の住民意識」18頁
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」18頁、斎藤月岑『武江年表』の慶長年間の記事
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」23頁
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」18-19頁
- ^ 小野晋「そぞろ物語 翻刻と解説」31-32頁
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」21頁
- ^ むしろ、寛永初年頃の成立を想定すると、「愚老70余歳」や「弓矢が治まってから30余年」といった、作中の言及と不整合を生じる。
- ^ 『彗星 江戸生活研究』3(8)、6頁
- ^ 辻善之助「慶長見聞集辨譌」、高橋仁「慶長見聞集について」など。
- ^ a b 「異本洞房語園」巻上(岩本佐七編『燕石十種 第三』国書刊行会、1908年、5-6頁
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」17頁
- ^ a b c 高橋仁「慶長見聞集について」148-152頁
- ^ 140-154頁
- ^ 水江「初期における江戸の住民意識」26頁
- ^ 鈴木棠三校注本522頁・579頁注
- ^ 大澤学「三浦浄心の著作と『吾妻鏡』」17頁
- ^ 大澤学「三浦浄心の著作と『吾妻鏡』」12-17頁
- ^ a b 石崎又造「芝叟が「売油郎」とその原拠附「三島の平太郎三年奉公の事」『近世日本に於ける支那俗語文学史』弘文堂書房、1940年、266-283頁
- ^ 小野晋「そぞろ物語 翻刻と解説」34-35頁
- ^ 斎藤好信『三浦浄心翁』〈東明叢書7〉東明吟社斎藤楓居、1965年
- ^ 『仮名草子集成 第57巻』126-127頁
- ^ 『彗星 江戸生活研究』3(8)、4頁
- ^ 阪口光太郞「『慶長見聞集』と中世文学」『東洋学研究』vol.37、2000年3月、105-107頁
- ^ 阪口前掲書、107頁
- ^ 阪口前掲書、108-109頁
- ^ 渡辺守邦「『慶長見聞集』と『童観抄』」4-5,12-13頁
- ^ 阪口前掲書、101-103頁
- ^ 阪口前掲書、105頁
- ^ 渡辺守邦「『慶長見聞集』と『童観抄』」1-4,6,7,12-14頁。『和漢合運』について、渡辺(5頁)は、浄心は慶長16年古活字本ないし同年整版を参照した、としているが、寛永8年頃では遅い、とする理由がない。
- ^ 渡辺守邦「『慶長見聞集』と『童観抄』」6-9頁。渡辺(8頁)は、『童観抄』について、浄心が寛永8年の識語のある版よりも前の、『童観抄』の原型にあたる「小冊露抄」が但州出石藩主小出大和守吉英に献呈されたのと同じ寛永2年からごく近い時期に刊行されたと推定される版を参照した、と推測しているが、寛永8年の識語のある本を参照していない、とする理由がない。
- ^ 小野前掲書、27-28頁
- ^ a b 大澤学「三浦浄心の著作における慶長19年」24頁
- ^ 斎藤月岑「○慶長見聞集」『睡余觚操』文久3年・1863年
- ^ 岩波書店、1965年
- ^ 「○慶長見聞集」『睡余觚操』国立国会図書館所蔵、文久3年・1863年
- ^ a b 鈴木白藤家記(『夢蕉』)の文化13年(1816年)10月23日の条に、近藤氏(小宮山は近藤重蔵と推測)を弔問したところ、近藤は三浦氏から借り得た秘書数種など数部を写していて、白藤に校合を依頼したことがみえ、原注に『見聞集』『茶呑語』『鳥獣憐記』『見聞軍抄』『北条記(北条五代記か)』『猩々舞』とあったとされている。
- ^ a b 『仮名草子集成 第57巻』236頁
- ^ 斉藤月岑「○慶長見聞集」『睡余觚操』
- ^ 巻1「将棋盤に迷悟そなふる事」
- ^ 国書刊行会、1987年
- ^ 森潤三郎「蔵書家白藤として知られたる書物奉行鈴木岩次郎成恭の事跡」『史学』第4巻第1号、1925年2月、49頁
- ^ a b 『国書人名辞典 第2巻』岩波書店、1995年、613頁
- ^ 『国書人名辞典 第2巻』岩波書店、1995年、613-614頁
- ^ 解題に、底本は「国会図書館内閣文庫所蔵本」と「東京都政史料館所蔵本」で、『改定史籍集覧』と『江戸叢書』を参考にした旨記載があり、凡例に「国立国会図書館内閣文庫所蔵本」を使用し「東京都政史料館所蔵本」によって補記した旨の記載がある。解題と凡例からは底本が判然としないが、巻10(12)に「都人待地山一見の事」が無いので、国会図書館本ではなく内閣文庫本が底本と思われる。
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