民族芸術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 09:42 UTC 版)
民族芸術作品の創作は、ティウィ諸島の文化と経済にとって重きをなしている。大部分のティウィ人は、いわゆる失業手当などの社会保障手当を受けて暮らしており:p.11、他の賃労働雇用についてもほとんどが政府からの補助金に依存している。こうした中で、美術工芸品づくりは彼らの経済的利益に資する活動として期待され実践されている。 ティウィの芸術は他のアボリジニ芸術とは全く異なり、儀礼的なボディペインティング(ジラマラ)に由来を持つ。ジラマラは太い線と円・点から構成される幾何学的デザインで、多くの場合、鳥獣に変わっていった祖先に関する神話的物語の現場を描くものである。使用される色は、石炭由来の黒色と、バサースト島の崖で採取される天然の黄土から採られる白・黄・赤色の4色だけである:p.53。現在では、このデザインは絵画・彫刻・織物・陶器・リトグラフなど様々なメディアに翻案されている。 ティウィ人の彫刻は、水牛の角から作られた鳥獣をかたどった小さなものから、祖霊や他の神話的存在をかたどった大きな木像まで存在する。ティウィ人は織物にも多くのデザインを生み出している。典型的な手法では色落ちを防ぐために蠟が塗られ、インドネシアのバティックに近い。丈夫な綿布からスカーフを作るためのデリケートな絹布まで、様々な布が使われる。 ティウィ人のもう1つの代表的な文化的象徴として、独特な形状の墓標プクマニ・ポールが知られる。墓標それ自体もプクマニと呼ばれるが、墓標だけでなく、死者の名前や身体、その人が命名したものなど、死者に関わる一切のものはタブーとして呼ぶことを禁じられ、それらはすべてプクマニとされる:p.48。亡くなってから1年後にタブーを解除するための葬送儀礼が行われ、死者のために歌や踊りを上演し、その人が埋葬される墓の周囲にプクマニポールを建てることになっている。 島にはティウィ・デザイン、ムヌピ美術工芸協会、ジラマラ美術工芸協会という3つの先住民芸術センターがあり、共同事業であるティウィ・アートを通じて提携している。ティウィ・アートのネットワークとは別に、1969年から先住民の女性が営む織物デザイン・印刷・衣料ビジネスのBima Wearと、「The Keeping Place」の名でも知られるNgaruwanajirriという2つの個人経営店がある。 国際展を開催したり、オーストラリアの主要なコレクションに作品が選ばれているティウィ諸島の作家には、キティ・カンティラ、ドンナ・ブラク、ジャン・バプティスト・アプアティミ、フィオナ・プルンタタメリなどがいる。 ティウィ諸島の装飾彫刻 ティウィの鳥の彫刻 ティウィ諸島アートギャラリー&スタジオの天井 プクマニ・ポール
※この「民族芸術」の解説は、「ティウィ諸島」の解説の一部です。
「民族芸術」を含む「ティウィ諸島」の記事については、「ティウィ諸島」の概要を参照ください。
- 民族藝術のページへのリンク