民族衣装の「ルバシカ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 07:55 UTC 版)
ブラウスないしスモック風のプルオーバータイプのシャツ・上着で、もとはウクライナの農民の衣装でルバーハ(Rubakha)と呼ばれた。19世紀末から20世紀初頭にかけて、襟部や袖口にカラーやカフスがつくようになった。名称もルバーハが愛称、通称化してルバシカに変化した。 ルバシカは男女両用であり、身頃がゆったりとしていて、詰襟、前開きは左脇または右脇寄りになっている。前開きは、途中までボタンで留る。襟や袖口などにロシア風の刺繍が施してある。着用時には裾はズボンの外に出してベルトを締める。 晩年のレフ・トルストイは、民衆的な服装としてルバシカを着用していた(当時のロシア貴族は一般的に、下着として襟のないシャツを着ていた)。このことから、インテリゲンツィアを中心にロシア社会に広まった。トルストイの着ていた「ルバシカ」は、裾が長く、ポケットがある。 日本社会にルバシカを紹介したのは、ロシア演劇の公演を行う中で「本場」の演出に近づけようとしていた演劇人たちで、1910年(明治43年)に小山内薫が里見弴からルバシカ2枚をようやく手に入れたという記録がある。1917年(大正6年)のロシア革命の衝撃を経て、演劇界では「ロシアらしさを象徴する小道具」としてルバシカが広く使われ(芸術座の公演で、必要もない場面でルバシカが乱用されていると小山内薫が批判している)、日本の大衆にも「ロシア人のルバシカ姿」が広められた。大正末期から昭和初期にかけて、「コスモポリタン」を自負する一部のインテリ青年を中心として着用が流行した。 デヴィッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』(1965年)では、主人公ジヴァゴ(演:オマール・シャリフ)がルバシカ(コソヴォロートカ)を着ているが、実際にはロシア革命当時はほとんど着られなくなったタイプの服装であり、ロシアでは「ステレオタイプなロシアの描き方」であると批判があるという。
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