横浜博覧会立て籠もり事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:47 UTC 版)
「鈴木嘉和」の記事における「横浜博覧会立て籠もり事件」の解説
1989年3月25日から横浜市で開催された横浜博覧会にテナント出店をしたが、会場内での店舗立地が悪いことや、博覧会自体の集客が順調でないことから経営は不振だった。そこで客集めとして、手塚治虫がデザインした横浜博のマスコット「ブルアちゃん」の着ぐるみを自作し、中に自分が入って撮影会やサイン会を実施していた。 しかし10月の閉幕が迫っているにもかかわらず横浜博覧会協会が対策を取らないとして、これに抗議して同年7月30日、早朝の4時から高さ30メートルの鉄塔コロネードにブルアちゃんの着ぐるみを持って足場伝いによじ登り、7時間ほど籠城する騒ぎを起こした。塔からは「団体バス駐車場を開放してね」という垂れ幕を垂らそうとしたが、風に煽られてうまくいかず、午前10時頃に博覧会関係者が異変を発見して119番通報した。横浜市消防局のレスキュー隊員がはしご車で頂上まで行き説得するが、ブルアちゃんの着ぐるみに入った鈴木はイヤイヤポーズをするなど拒否。20分後の11時45分頃に説得に応じてはしご車で地上に引き降ろされるまで1時間近く鉄塔上を歩き回った。 出店にあたって博覧会協会側から1日10万人の入場者があると説明されていたのに実際は3万から4万人、1日100万円の売上げ見込みが3分の1、ときには10万円未満の日もある一方で、権利金や店の内装で出店には3,000万円を要していた。博覧会そのものの集客の少なさに加えて、鈴木が出店した店は22店舗あるブルアちゃんモールの一角で高島町ゲート前だったが、直近の駐車場が業務用の団体バス駐車場だったため、マイカー利用者からの集客が期待できず、夏休みになると団体バスの利用数が半減していたことも「ガラ空きの業務用駐車場を開放して」と鈴木が訴える原因となった。事件後に協会事務局長は鈴木に厳重注意した。 鈴木が出店した店は、『読売新聞』は郷土料理店、『朝日新聞』は飲食店、『毎日新聞』は土産もの店と報じている。 この抗議の後、協会と交渉の末に許可を取り、独自の客寄せとしてヘリウム風船の浮力でロープで係留されたゴンドラが高さ10メートルから20メートルに浮かぶ「空中散歩」を自費で博覧会場に設置。9月1日から閉幕する10月1日までこれを実施し、約2500人がゴンドラに乗って空中散歩を楽しんだ。最終日となった10月1日、鈴木はブルアちゃんの着ぐるみの中に入ったままゴンドラに乗り、ロープを外して場外まで飛んで行くと言い出したが、「皆に迷惑をかけてしまうから」と最終的には断念した。
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