構想の誕生と低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 00:53 UTC 版)
「国際刑事裁判所の歴史」の記事における「構想の誕生と低迷」の解説
2002年の7月に条約が発効し、翌年の3月には開所した国際刑事裁判所(ICC)の設立構想は、半世紀以上も前、国際連合の設立当初から存在していた。第一次世界大戦終結後パリ講和会議にてのヴェルサイユ条約による戦後処理で戦争開始を導いたヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)を「国際道徳と条約の神聖を傷つけた最高の犯罪」として特別裁判所で審理することを定めようとしたが実現しなかったことを起因とし、第二次世界大戦後のニュルンベルク国際軍事裁判と極東国際軍事裁判の経験を踏まえ、国際社会が常設の国際法廷を設置して将来の大量虐殺や侵略の発生を抑止するのを目的に構想が着手されていたのである。しかし、東西冷戦によって数十年にわたりこの構想は凍結されることとなる。 1948年12月、第3回国連総会は、ジェノサイド(集団殺害)などの国際犯罪を裁くために国際刑事法廷の設立が必要であることを認める決議260号を採択し、ジェノサイド条約を成立させた。このとき初めて、ジェノサイドは国際法上の犯罪として定義され、その訴追を当該国の国内法廷の他に、国外の適切な国際戦犯法廷が行うことが規定された。また国連総会は同じ決議で国際法委員会(International Law Commission, 略称: ILC)に対して、個人を裁くための国際刑事法廷の設置の実現性を検証するよう勧告した。 1949年、スイスのジュネーヴで、第二次世界大戦後の慣行を取り入れた戦争犠牲者の保護と文民保護に関する4つの条約、ジュネーヴ諸条約が採択される。これら諸条約が発効した1950年以降、人道面に関する戦争法一般が立法化されることになる。 1951年、国際法委員会の報告に基づき、国連総会で国際刑事裁判所設立のための検証委員会が設置され、設立規程の草案が策定される。 1953年、国際刑事裁判所設立草案は修正されて再び国連総会に提出されるが、侵略の罪に関する審議が停滞したため総会は草案の採択を断念。その後、半世紀近くに渡って草案の検討は凍結されることになる。 1977年、スイスで戦争犠牲者の保護を目的として1949年締結されたジュネーヴ諸条約を発展・補完する目的で2つのジュネーヴ諸条約の追加議定書が採択される。第一追加議定書は国際的武力紛争における犠牲者の保護を目的とし、第二追加議定書は非国際的武力紛争における犠牲者の保護を目的とするものだった。
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