戦犯法廷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 18:13 UTC 版)
旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)は、クロアチア軍の3人の司令官、上級大将イヴァン・チェルマク、上級大将ムラデン・マルカチュ、准将(後に大将)アンテ・ゴトヴィナに対する訴状を提出した。訴えによると3人は、クライナ・セルビア人に対する戦争犯罪について、個人的および指導者としての責任があるとされた。ICTYの検察官ルイーズ・アルブールは後に、もしこの3人を訴追した時点でフラニョ・トゥジマンが生存していたら、トゥジマンも訴追の対象になったであろうと明かした。 チェルマクとマルカチュはICTYに引き渡されたが、ゴトヴィナは逃走した。クロアチア人の間では、ゴトヴィナは英雄と見られていた。ゴトヴィナはクロアチア国内、あるいはボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人の住む地方で自由に暮らしていると広く信じられていた。そして、クロアチア人の当局によって、ゴトヴィナが自由に暮らせるように秘密裏に支援を受けているか、少なくともゴトヴィナに対して目を瞑っていたと考えられた。しかし後にこれらは誤りであったことが明らかとなっている。アメリカ合衆国は、ゴトヴィナ逮捕に500万ドルの懸賞金をかけ、ゴトヴィナはラトコ・ムラディッチやラドヴァン・カラジッチなどとともにICTYの最重要手配人となった。この問題は、クロアチアの外交関係への大きな支障となっていた。欧州連合への加盟手続きは、クロアチア政府がゴトヴィナの潜伏を支援しているとの疑いのため、2005年3月まで見送られていた。 2005年12月8日、ゴトヴィナはスペイン・カナリア諸島のテネリフェ島のホテルで警察に逮捕された。デン・ハーグのICTYへの引渡しに先立ち、法的手続きのためにゴトヴィナはマドリードへ送られた。ICTYは後に3人に対する訴訟を一本化した。3人に対する訴訟は2008年3月に開始されたもののチェルマクは2011年、マルカチュとゴトヴィナは2012年にそれぞれ無罪が確定した。
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