クライナ・セルビア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:05 UTC 版)
クライナに対する軍事行動が予想されていたものの、クライナ・セルビア人共和国大統領のミラン・マルティッチ(Milan Martić)と参謀はZ-4案を拒絶した。クライナ・セルビア人共和国は、クロアチアからの完全分離とボスニア・ヘルツェゴビナ領のセルビア人勢力であるスルプスカ共和国との統合を望んでいた。 1995年7月の'95夏作戦でのクロアチア軍の勝利のあと、クライナ・セルビア人勢力の兵站は深刻な問題を抱えることとなった。'95夏作戦によって、クライナ・セルビア人共和国の首都であるクニンと、ボスニアのスルプスカ共和国とを結ぶ幹線道路がクロアチア人勢力の手に落ちた。クライナの兵士の士気は下がり、クライナ政府の命令によって市場は閉鎖された。また、深刻な内部対立にも陥っていた。 クライナ・セルビア人軍(VSK)もまた、深刻な人員不足に陥っていた。クライナ・セルビア人軍の守るべき防衛線は、クロアチアおよびボスニア領クロアチア人支配地域に対して600キロメートルに伸び、さらに後方にはボスニア軍のいるビハチ飛び地に沿って100キロメートルに伸びていた。この前後の防衛線を守るのに、55000人程度の兵員しかいなかった。このうち16000人は東スラヴォニア地方の防衛に当たっており、クライナの本土を守っているのは最大でも39,000人であった。
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