検察官の立証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)
「京都・大阪連続強盗殺人事件」の記事における「検察官の立証」の解説
1985年(昭和60年)2月5日に開かれた第2回公判で、検察官は以下のように、雅晴の母親が捜査員に心境を述べた調書を朗読している。 「みんなに迷惑かけて息子がにくくて仕方ありません。被害者やその家族にどう言ってあやまっていいかわかりません。息子がこんな事件を起こし、あちこちから電話がかかり、生きた心地がしません。私の生きているうちに死刑にしてもらいたい。そうでないとまた、迷惑をかけることになります。私が毎日、先祖にお参りして極楽に行けるようにしてあげる。どうか子供の時のような素直な気持ちになって反省してほしい」 — 廣田雅晴の母親、京葉讀賣 (1985) 最大の物的証拠となる凶器(包丁や拳銃)が発見されなかったため、被害者2人の遺体から検出された弾丸と、京都府警が保存していた試射弾丸の合わせて3個だけが、2つの事件を直接結びつける唯一の物証となった。検察側の依頼を受けて弾丸を鑑定した坂田八昭(警察庁科学警察研究所技官)は、「3個の弾丸を比較顕微鏡で対照したところ、線条痕が一致するため、同一銃から発射されたと推定できる」と証言した一方、弁護側は「同じ工具で作った銃なら、線条痕が類似するのでは」と反論し、再鑑定を求めた。しかし、再鑑定を行った福岡県警察科学捜査研究所職員も「理論に立脚した経験から、同一銃から発射されたものと考えざるを得ない」と証言した。 また、検察側は計60人の証人(うち35人は目撃証人)を召喚し、その中でも最重要証人である女性C(大阪事件で同僚Bを目の前で殺された)から「廣田は犯人の男に似ている」という言質を取った。一方、直接目撃者がいなかった京都事件では、事件現場(船岡山)周辺で犯行前後に不審な男を目撃した人物や、事件前日に凶器と推定される包丁を売った金物店の主人、ボウガンを売った銃砲店の従業員が証人として尋問され、「廣田は事件前、何か怖い印象を持って見た男によく似ている」「(包丁やボウガンを売った相手は)廣田に間違いない」という証言がなされた。
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