梁山泊の各拠点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 15:05 UTC 版)
梁山泊(りょうざんぱく) 梁山泊の新たな本拠地で、河北における最大の軍事拠点。童貫戦以来、流浪していた呼延灼・張清・史進らが集結し、石積みや鍛冶といった技術を投入して建設した。黄州の東端、河水(黄河)沿岸に建設された塞(砦)で水軍からの補給や女真の地で活動していた楊令軍との連携も考慮されている。最初は名前が無かったが、頭領に就任した楊令が新たな梁山泊として命名した。前作の梁山泊同様に意思決定機関である聚義庁(しゅうぎちょう)や事務担当の文治省(ぶんちしょう)が置かれている。なお、聚義庁の入口には楊令が宋江から託された替天旗が掲げられている。 洞庭山(どうていざん) 蘇州にある湖、太湖(たいこ)の小島に李俊たち水軍が中心となって建設した拠点。江南における梁山泊の拠点のひとつで、前作の二竜山のように募兵や調練、物品の生産などを担当する。過去に梁山泊軍に所属していた兵や、洞宮山で訓練を終えた新兵はここで仕上げの調練を行い、河北の本隊へ配属されていく。また、船着場や山などには童猛らが楽和、燕順など、死んでいった者達にちなんだ名称をつけている。募兵・調練が一段落してからは造船所や物資の貯蔵庫、水軍の拠点へと役割を変えていく。南宋の成立後も江南の拠点として軍事・交易に大きな役割を持つ。 洞宮山(どうきゅうざん) 温州の南、洞庭山よりも更に南部の山中に位置する拠点。元々は廃れた山村だったものを戴宗や陶宗旺が拠点として整備した。前作終盤に江南へ移った顧大嫂や孫二娘、残党狩りから逃れた杜興らが募兵・調練を行う。梁山泊入りを希望する新兵はここに入り、基礎の調練を終えた後で洞庭山へ移される。募兵の役割を終えてからは物資の生産拠点として機能する。 沙門島(さもんとう) 登州の北、渤海に浮かぶ小島で李俊が活動拠点の一つとして整備していた。水軍の拠点として機能するほか、梁山泊や日本から運ばれる交易品の集積・管理も行われていく。 楡柳荘(ゆりゅうそう) 太湖の沿岸にある拠点で李俊の弟分のひとり、上青が運営している。太湖の中にある洞庭山への船着場があり、洞庭山と本土との人員・物資の運搬を担当、宋の役人には正規の商人という名目で活動を偽装している。方臘の乱勃発中は方臘の信仰が洞庭山へ伝播するのを防ぐ役目も果たした。 大城(だいじょう) 南大樹鎮よりも更に北に位置する河水沿岸の城郭。渤海沿いにある水軍の拠点、海天からの兵站を安定させるために重要な場所である。燕雲十六州から叛徒を率いて南下してきた韓伯竜の一党が宋軍から奪い、根城にしていた。韓伯竜らが梁山泊入りしてからは兵站線を確保するために整備される。 双頭山(そうとうざん) 前作でも登場した、かつての梁山泊の拠点。前作の最終決戦後は官軍も去り、只の山に戻っていた。厳密には梁山泊の領土外だが、童貫戦後の領土拡大に伴う迎撃用の前線基地として再び整備された。なお、位置的には新生梁山泊の南東部に存在する。
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