株式会社マツバヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 02:56 UTC 版)
「サンプラザ (福島県)」の記事における「株式会社マツバヤ」の解説
2013年2月時点での社長は松原茂。前身は、1927年に松原の曾祖父が現在の浪江町内に開業した日用雑貨店の「松葉屋」である。「協同組合サンプラザ」が開業するまでは、国鉄(現在のJR)常磐線の浪江駅前で、家電製品や雑貨も扱うスーパーマーケットの「マツバヤ駅前店」を営んでいた。 「サンプラザ浪江店」のオープン以降は、「マツバヤ駅前店」をホームセンターの「マイプラザ」に改装したことを皮切りに、フランチャイズ形式で携帯電話ショップやフィットネスクラブなどのサービス業にも進出。浪江町の近隣に当たる双葉郡富岡町や南相馬市にも出店する一方で、東日本大震災の発生前にはインターネットによる通信販売(ネットショップ)事業の準備を進めていた。 マツバヤ全体では、このような事業の多角化によって、2010年度に約35億円もの年商を達成していた。しかし、従業員の居住地域や商圏の大半が福島第一原子力発電所事故の警戒区域に指定されたことを機に、区域内の全店舗を休業。当時「サンプラザ浪江店」に在職していた従業員(約200名)も全員、福島県内の警戒区域外地域や県外へ避難せざるを得なくなった。 2011年5月には、警戒区域および計画的避難区域外の福島県郡山市に仮事務所を開設したうえで、浪江町の本社機能を移転。その直後に震災発生後初めての社員集会を開催したところ、出席した91名の従業員から、「サンプラザで再び働きたい」という希望が相次いで寄せられた。そこで松原は、復職を希望する従業員の再雇用を前提に、上記の計画に沿ってネットショップへの転換による事業の再開を決断。同年11月11日には、ネットショップとして「サンプラザショップ」を開設した。 2011年7月から半年間は、福島県内の仮設住宅へ分散した「サンプラザ浪江店」の顧客を対象に、従業員の有志がボランティアで復興支援物資の搬入や「御用聞き」形式による生活必需品のカタログ販売なども実施していた。その間に、浪江町に隣接する同県田村市で「ふねひきパーク」(商業施設)を運営するシミズストアから、同パーク内2階フロアへの出店を打診。2012年3月8日には、衣料品・化粧品・服飾品・靴・バッグ・生活雑貨を扱うテナント店舗として、「サンプラザふねひきパーク店」を開店した。この出店を機に、避難生活を送る浪江町民が多い地域で「サンプラザ相馬店」(相馬市)や「サンプラザ二本松店」(二本松市)を新設している。 なお、「サンプラザふねひきパーク店」の開店に際しては、「サンプラザ浪江店」に在職していた従業員の約1割(27名)を店員として再雇用。2011年10月からは、田村市から遠く離れた福島県内の仮設住宅(福島市など20ヶ所)で暮らす浪江町民向けに、無料の往復送迎バスを運行するようになった(福島県による買い物利便性向上支援事業委託業務の助成事業)。その一方で、「サンプラザ二本松店」以降の新設店舗では、(浪江町の商圏に含まれない)店舗周辺地域の住民をスタッフへ積極的に採用している。
※この「株式会社マツバヤ」の解説は、「サンプラザ (福島県)」の解説の一部です。
「株式会社マツバヤ」を含む「サンプラザ (福島県)」の記事については、「サンプラザ (福島県)」の概要を参照ください。
- 株式会社マツバヤのページへのリンク