事業の再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:22 UTC 版)
「フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ」の記事における「事業の再開」の解説
父・フェルディナントが収監されている間、ポルシェの公式の管理者はカール・ラーベであったが、フェリーは姉・ルイーゼとともに実質的な会社の運営を行なった。1946年中には、イタリアの元サッカー選手であり自動車メーカーチシタリアを立ち上げた実業家、ピエロ・ドゥジオ(Piero Dusio )の依頼による競技車「チシタリア・グランプリレースカー」(Cisitalia Glan-Prix Race Car 、ポルシェ・360)の開発、さらに、後にポルシェ・356となる自社による車両の開発が開始された。ポルシェ・356はフェリーが設計を行い、1948年に生産が開始された。チシタリア・グランプリレースカーは1949年に発表された。 1949年、フォルクスワーゲンとの間に事業提携の契約がなされた。これにより経営の安定を得たポルシェKGは、1950年、約6年ぶりにシュトゥットガルトへと拠点を戻した。また、この契約によりフェリーは、オーストリアにおけるフォルクスワーゲン車の独占販売権を得た。
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