林忠正の交遊とは? わかりやすく解説

林忠正の交遊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 13:52 UTC 版)

林忠正」の記事における「林忠正の交遊」の解説

30年にも及ぶパリ中心とした仕事の中で、世界中友情培った日本人らしい濃やかな心情巧みフランス語話術は、信頼友情尊敬にまで高めた。またルイ・ゴンスや、「ジャポニスム」の用語を作ったフィリップ・ビュルティ (Philippe Burty) など多く研究者助けることで、彼らからの援護得ている。エドモン・ド・ゴンクール晩年2つ著作歌麿』『北斎』は、助けによって刊行された。世界中旅しながら、各地の港から資料送り続け船中構想練った難し日本語懸命に翻訳口述しているの姿を、ゴンクール日記書き留めている。以下の証言は、その交流一例である。 が言うには、「何せ哲学的な観念については私たち日本人はどこか収集家似ているですよ。つまりガラスケース持っていて、その中には完全に引き付けられる物し入れないのですが、かといってそのひかれる理由そのものは、あまり詮索しない収集家コレクターなのですよ。」、なんとも独創的な考察だ。 — エドモン・ド・ゴンクール、『ゴンクール日記』(1885年3月19日付、斎藤一郎訳、岩波書店新版 岩波文庫下巻)より、訳文一部改変ドイツフライブルク大学教授エルンスト・グロッセ(ドイツ語版)との交遊は、死後まで続いた帰国の時、グロッセから受けた数々援助に対して、もはや報いる力を失った遺書の中で、自分コレクションの中から、グロッセの意のまま美術品を選ばせ、低い値段で譲ることを妻に命じた来日したグロッセは700点もの工芸品選び2万円余の値段譲り受けたベルリン東洋美術館は、この友情によって誕生した在留日本人少なパリ独り生きたは、世界巡り美術品売り捌きながら日本紹介した。その世界的な視野以って祖国近代化にも力を尽くした。しかし、悪口雑言残っていても、林忠正知る人も、真に理解する人も少ない。彼の仕事は「浮世絵世界紹介し印象派作品初め日本もたらした」だけではない。19世紀末パリ華やかな時代同時代の、決して“明るくなどない明治”を知る上でも、常に「世界の中の日本」を見据えて日本真価守った林忠正識見貴重なものであろう

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