林内閣の祭政一致
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1936年11月教学刷新評議会が設置される。これは林陸相(次期首相)が岡田首相に対し国体明徴について特別の機関を設けてもらいたいと注文をつけたように、軍部の圧力によって設置されたものである。評議会を設置する目的は「国体観念、日本精神を根本として現下我が国の学問、教育刷新の方途を議し文政上必要なる方針と主なる事項とを決定し以てその振興を図らん」こととされる。 1937年2月、林銑十郎内閣は発足時に「政綱に関する内閣声明」を発表し、その第1に「国体観念をいよいよ明徴にし、敬神尊皇の大義をますます闡明し、祭政一致の精神を発揚して国運進暢の源流を深からしめんことを期す」と掲げる。 1937年3月、文部省が中等学校や師範学校の教授要目を改正する。これにより、修身は教育勅語の趣旨を奉体して国体の本義を明徴にし国民道徳を会得させることになる。また、公民科は、国体と国憲の本義、特に肇国の精神と憲法発布の由来を知らしめ、もって我が国の統治の根本観念が他国と異る所以を明らかにし、これに基づき立憲政治と地方自治の大要を会得させ、特に遵法奉公の念を涵養することになる。 1937年3月同志社大学が「同志社教育綱領」を制定する。これは教育勅語と詔書を奉戴しキリストに拠る信念の力をもって聖旨(天皇の意思)の実践躬行(自発的実行)を期するというものである。同大学では前々年の神棚事件や前年の国体明徴論文掲載拒否事件などの内紛が起きていた。教育綱領制定後も教育綱領に反すると疑われる教授らの罷免を国体明徴派の4教授が要求する紛争が起きる。専門学務局長兼思想局長伊東延吉は同志社の理事を呼びつけ「政府当局の国体明徴の根本方針に立脚して善処すべき事」の意向を伝え、罷免要求を受けた側の教授らについては「思想清美」できるまで授業を差し止め、罷免要求を行った国体明徴派4教授の処分については絶対不賛成であると明言する。文部省は国体明徴の観点から同志社のキリスト教教育を狙い撃ちにしたといえる。
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