松商学園短期大学時代とは? わかりやすく解説

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松商学園短期大学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:46 UTC 版)

山田晴通」の記事における「松商学園短期大学時代」の解説

博士課程単位取得退学後の1986年昭和56年4月長野県松本市にある松商学園短期大学商学科講師着任地域誌について地理学立場から研究し従来地域コミュニケーション観点から論じられ地域誌を経営面から分析した一方で1987年昭和57年)から1988年昭和58年)にかけて一橋大学竹内啓一研究室出入りし、『Geography, the media & popular culture』の翻訳作業読み合わせ)に打ち込んだ。なお、竹内ローマ日本文化会館館長務めるために1988年10月から3年渡欧したため、その間山田出版社とのやり取り奔走したという。 1989年昭和58年)には東京大学博士論文わが国におけるCATV(有線テレビジョン)の存立基盤空間的展開と地域的特性』を提出し理学博士学位を受ける。1990年平成2年4月山田助教授昇任1991年平成3年)から1995年平成7年)にかけては、上高地自然史研究会で事務局担当した1992年平成4年)、ようやく『Geography, the media & popular culture』の訳本古今書院から『メディア空間文化論メディアと大衆文化地理学』として出版され、翌1993年平成5年)には初版第2刷が発行された。 1989年5月には日本新聞学会春季研究発表会を、1993年10月には経済地理学会地域集会日本ポピュラー音楽学会第5回大会を、1994年平成6年10月には日本国地図学会の第29回地方例会の開催を、松商学園短期大学受け入れている。また、山田ユタ日報松本研会の設立呼びかけ人名を連ね1994年には『松商短大論叢』へ「北米日系新聞関係日本語文献表(第1稿)」を、『「ユタ日報復刻版第1巻には「概説ユタ日報』-その歴史意義」を寄稿した

※この「松商学園短期大学時代」の解説は、「山田晴通」の解説の一部です。
「松商学園短期大学時代」を含む「山田晴通」の記事については、「山田晴通」の概要を参照ください。

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