東西に分けられる仙台の街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:29 UTC 版)
仙台駅西口側 仙台の街は、仙台駅、および東北新幹線・東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄南北線、とりわけ泉中央副都心および長町副都心の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等に取って代わり、住民の都心回帰を助長している。 仙台駅東口側 一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の若林区は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が卸町・六丁の目・扇町などに造られた。業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がなく、周囲の水田も国政・市政により農地指定が解除されなかったため、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。90年代に入り卸を通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まり、地下鉄東西線の建設によって促進されることとなった。 また、仙石線の地下化に伴った区画整理・再開発(仙台市の土地区画整理事業一覧、日本の再開発の一覧#宮城県)により、東口は街の形が大きく変貌。東口の駅前から延びる宮城野通り完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、2005年(平成17年)より東北楽天ゴールデンイーグルスが宮城球場を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついた。 地下鉄東西線開通 2015年(平成27年)12月6日、仙台市地下鉄東西線:八木山動物公園駅-荒井駅が開通し、仙台駅西口側と東口側の一体化を推進していくことになった。東西線の仙台駅は西口側にあるが、仙台駅東口から150m付近に宮城野通駅が設置され便宜を図っている。
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