仙台駅東口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:37 UTC 版)
以前は地元の人から駅裏と呼ばれ、藩政時代の町割を残す、仙台空襲の災禍を免れた由緒ある町があった。江戸時代に足軽や鉄砲職人が住んでいた町であり、二十人町や鉄砲町などの町名が今でも残っている。また、伊達政宗の時代に作られた寺町も現在でも残っている。 1980年代前半までは、宮城野橋を中心に終戦直後からほとんど変化がなく、暗い雰囲気が漂っていたが、90年代の土地区画整理事業で様変わりした。現在では複数の大手予備校と専門学校が集中立地し、学生向けに主に飲食店・ゲームセンター・映画館などが集積している。床面積が小さく賃料も安い物件が駅近くに少ないため、衣料・雑貨などの物販は、土地区画整理事業以前の旧道沿いに分散して存在。代々木ゼミナールの裏手には質屋が数店ある。 東口の自由通路出口から北側の旧仙石線仙台駅および東七番丁に向かって、駅ビル、Zepp SENDAI、BiVi仙台駅東口、ペンシルビルなどが立ち並ぶ。南側の北目町通東八番丁交差点周辺の雑居ビルにも飲食店の集積がやや見られる。駅前の物販では、ヨドバシカメラやパソコンパーツショップが数店集まった。
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