東映生田スタジオへの参加
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「内田一作」の記事における「東映生田スタジオへの参加」の解説
この夏、東映のテレビ番組制作スタジオ東映生田スタジオ所長に就任していた弟の内田有作が、見かねて同スタジオ作品『仮面ライダー』(毎日放送)への参加を誘った。内田もこれを受けて日活を退社し、東映生田撮影所の演出スタッフに加わる。第28話「地底怪人モグラング」、第30話「よみがえる化石 吸血三葉虫」を監督。 1972年(昭和47年)、日活での時代劇経験を買われ、「時代劇版仮面ライダー」として毎日放送と東映が制作したテレビ時代劇『変身忍者 嵐』の企画立ち上げから参加。伊上勝と考証資料を揃えて、本編のメイン監督をこなす。 1973年(昭和48年)、テレビ番組『ロボット刑事』(フジテレビ)、『仮面ライダーV3』(毎日放送)に参加。『仮面ライダーV3』では後半部を担当。以後、『仮面ライダーX』、『仮面ライダーアマゾン』、『仮面ライダーストロンガー』と、東映生田スタジオの「仮面ライダーシリーズ」すべてに監督参加する。 1975年(昭和50年)、テレビ番組『アクマイザー3』(NET)に監督参加。 1976年(昭和51年)、テレビ番組『ザ・カゲスター』、『超神ビビューン』(NET)に監督参加。劇場版『ザ・カゲスター』を監督。 1977年(昭和52年)、テレビ番組『大鉄人17』(毎日放送)に監督参加。これを最後に東映生田スタジオから離れ、「これからはビデオの時代が来る」として、VTR業務を開始した「日本ソフトウェアーズ」に移籍。企業向けビデオの制作に関わる。 1982年(昭和57年)、秋に身体の不調を訴え緊急入院。末期の胃癌と診断される。 1983年(昭和58年) 7月21日、闘病の末に死去。葬儀では、内田が精魂を傾けた「仮面ライダー」や「変身忍者嵐」の人形が棺に入れられ、共に荼毘に付された。戒名は「静寂院釋一道」。
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