東映生田スタジオへの参加とは? わかりやすく解説

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東映生田スタジオへの参加

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:22 UTC 版)

内田一作」の記事における「東映生田スタジオへの参加」の解説

この夏、東映テレビ番組制作スタジオ東映生田スタジオ所長就任していた弟の内田有作が、見かねて同スタジオ作品『仮面ライダー』毎日放送)への参加誘った内田もこれを受けて日活退社し東映生田撮影所演出スタッフに加わる。第28話地底怪人モグラング」、第30話「よみがえる化石 吸血三葉虫」を監督1972年昭和47年)、日活での時代劇経験買われ、「時代劇仮面ライダー」として毎日放送東映制作したテレビ時代劇変身忍者 嵐』の企画立ち上げから参加伊上勝考証資料揃えて本編メイン監督をこなす。 1973年昭和48年)、テレビ番組ロボット刑事』(フジテレビ)、『仮面ライダーV3』毎日放送)に参加『仮面ライダーV3』では後半部担当以後『仮面ライダーX』『仮面ライダーアマゾン』『仮面ライダーストロンガー』と、東映生田スタジオの「仮面ライダーシリーズ」すべてに監督参加する1975年昭和50年)、テレビ番組アクマイザー3』(NET)に監督参加1976年昭和51年)、テレビ番組ザ・カゲスター』、『超神ビビューン』(NET)に監督参加劇場版ザ・カゲスター』を監督1977年昭和52年)、テレビ番組大鉄人17』(毎日放送)に監督参加。これを最後に東映生田スタジオから離れ、「これからビデオ時代が来る」として、VTR業務開始した日本ソフトウェアーズ」に移籍企業向けビデオ制作関わる1982年昭和57年)、秋に身体の不調訴え緊急入院末期の胃癌診断される1983年昭和58年7月21日闘病の末に死去葬儀では、内田精魂傾けた「仮面ライダー」や「変身忍者嵐」の人形入れられ、共に荼毘付された。戒名は「静寂院釋一道」。

※この「東映生田スタジオへの参加」の解説は、「内田一作」の解説の一部です。
「東映生田スタジオへの参加」を含む「内田一作」の記事については、「内田一作」の概要を参照ください。

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