東映第二番線の誕生とは? わかりやすく解説

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東映第二番線の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 15:29 UTC 版)

第二東映」の記事における「東映第二番線の誕生」の解説

第二東映発案者今田智憲で、大川博東映社長今田案を採択し導入決めたもので、設立経緯東映動画同じだった岡田茂反対したが、1960年昭和35年3月第二東映発足した第二東映社長は、大川博東映社長務め本社東映本社内に置いた第二東映本社機構のうち、総務部長経理部長には、東映本社総務部次長経理部次長であった土屋唯男と柴田昌久を据え生産拠点である「東京製作所」、「京都製作所」をそれぞれ東映東京京都撮影所内に置き、それぞれの取締役製作所長として、東映取締役であり両撮影所長でもある山崎真一郎坂上次郎配置した東京製作所京都製作所それぞれの製作部長を第二東映取締役とし、当時東映東京撮影所製作部であった高橋昌一京都撮影所次長製作部であった岡田茂実権握らせたマキノ雅弘回想によれば第二東映発足当初大川博は「1年間東映96本、第二東映48撮って年間100億円の収入」を宣言したという。「第二東映ブランド最初に劇場興行が行われた作品は、1960年昭和35年3月1日公開された『次郎長血笑記 秋葉対決』(監督工藤栄一)、『危うしGメン 暗黒街野獣』(監督伊賀山正光)であり、その二本興行である。前者第二東映京都製作所後者第二東映東京製作所作品である。 同年3月配給開始以降同年6月までの間、東映テレビ・プロダクション新社)製作の中篇映画第二東映配給している。『まぼろし峠』(監督藤原雄、同年3月8日公開)、『まぼろし完結篇』(同、同年同月15日公開)、『風小僧 風雲虹ヶ谷』(監督仲木睦同年同月22日公開)、『白馬童子 南蛮寺の決斗』(同、同年同月29日公開)、『浪曲国定忠治 赤城の子守唄』(監督冬島泰三同年4月5日公開)、『白馬童子 南蛮寺の決斗 完結篇』(監督仲木睦同年同月12日公開)、『浪曲国定忠治 血煙信州路』(監督冬島泰三同年同月19日公開)、『青空街道』(監督藤田潤一同年5月3日公開)、『青空街道 完結篇』(同、同年同月10日公開)、『風小僧 風流河童剣』(監督仲木睦同年同月17日公開)、『風小僧 流星剣の舞』(同、同年同月24日公開)、『浪曲権三と助十 ゆうれい駕籠』(監督冬島泰三同年6月7日公開)、『浪曲権三と助十 呪い置手紙』(同、同年同月14日公開)の13作である。いずれも時代劇であり、まだ東映京都テレビ・プロダクション1964年 - 1990年)が設立されていない時代であった当時東映東・西撮影所で「月八本体制」。第二東映含めると東映は月に一六本の作品公開した

※この「東映第二番線の誕生」の解説は、「第二東映」の解説の一部です。
「東映第二番線の誕生」を含む「第二東映」の記事については、「第二東映」の概要を参照ください。

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