東京市立図書館から東京都立図書館(1911-1951)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:30 UTC 版)
「墨田区立図書館」の記事における「東京市立図書館から東京都立図書館(1911-1951)」の解説
現在の墨田区における最初の図書館は、1911年(明治44年)に設立された東京市立本所簡易図書館である。その後1914年(大正3年)には東京市立中和図書館が開館した。これらの図書館は小学校内に設立されている。中和図書館は、1914年(大正3年)に館外貸出(帯出)サービスを開始し、1921年(大正10年)には児童図書の貸出を始めた。 1923年(大正12年)、関東大震災により東京市立図書館のうち、本所図書館・中和図書館を含む12館は全焼し、本所図書館は6051冊、中和図書館は4922冊が消失している。しかし、同年の11月には中和図書館が復旧したバラック校舎の一角にて再開し、1924年(大正13年)6月には本所図書館が本所区太平町で再開した。 1924年(大正14年)、東京市が実施した第2回読書週間において、本所図書館では民俗学者の柳田國男が「市民の読書に就て」と題した講演を行なっている。 その後、本所図書館は1928年(昭和3年)7月に法恩寺境内に移転し館外閲覧のみ行なっていたが、同年12月には新館が落成したため移転し館内閲覧も行うようになった。利用者増と老朽化などにより1935年(昭和11年)には改築したが、児童室を除いて有料と変更したため、利用者が減少した。 中和図書館は、教室不足などにより他の小学校に移転せざるを得ず、1930年(昭和5年)4月に本所区東駒形の明徳小学校内に移転し開館、同年10月に所在地にちなんで東京市立東駒形図書館と改称した。 これまでの2館は本所区に開館していたが、墨田区北部にあたる旧向島区に初めて開館したのは1929年(昭和4年)の寺島町立図書館である。この図書館は1928年(昭和3年)11月に行われた昭和天皇即位の儀(御大典)の記念事業として計画された。 寺島図書館の設立にあたっては、当時の東京府立第七中学校(墨田川高等学校)が深く関わっており、計画当初では設置は寺島町が行い運営には府立七中校友会が当たるとされていてた。 1932年(昭和7年)、東京市の市域拡張により向島区ができ寺島町立図書館は東京市に移管され東京市立寺島図書館となった。 1943年(昭和18年)7月1日、東京都制が施行され、それまでの東京市立図書館はすベて東京都立図書館となった。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により、本所図書館・中和図書館が焼失し、同年5月25日の空襲により寺島図書館が全焼した。その後1951年(昭和26年)まで墨田区内に公立図書館は存在していなかった。
※この「東京市立図書館から東京都立図書館(1911-1951)」の解説は、「墨田区立図書館」の解説の一部です。
「東京市立図書館から東京都立図書館(1911-1951)」を含む「墨田区立図書館」の記事については、「墨田区立図書館」の概要を参照ください。
- 東京市立図書館から東京都立図書館のページへのリンク