東京市療養所の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)
1920年(大正9年)、江古田の寺山(現・江古田の森公園一帯)に東京市療養所が開設された。肺結核の療養所であった。東京近郊の中で江古田が空気も水も一番良いということでここに決まったといわれる。療養所の建設に先立って用地買収が始まったとき、江古田の村民は結核菌の感染を恐れて反対運動を起こした。新聞は「百姓一揆」と書き立てた。住民大会では、地所を売った地主に制裁を加えるべきことを決議した。危害を加えるような制裁は禁じられたが、中には村八分の制裁を受けてノイローゼになった地主もいた。反対運動は村民の間に感情的なしこりを残し、この件に触れることは長らくタブーになった。 東京市は新道建設などを条件にして村民と和解し、療養所建設に着手するが、工事中の建物が放火された。療養所が開設されてからも、療養所の前を通るときに口を押えて鼻をつまんで走り抜ける村民がいた。療養所の裏山から患者が外に抜け出して困ると苦情を入れた。療養所の近所で作ったダイコンは買い手がつかないといわれた。小学校の校長は療養所の煙突から煙が出るのが恐ろしいと言った。煙突の煙が危ないのは、火の粉が飛ぶからでなく結核菌が降って来そうに思えたからだった。
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