木下 惠介とは? わかりやすく解説

きのした‐けいすけ【木下恵介】


木下惠介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 21:53 UTC 版)

木下 惠介(きのした けいすけ、新字体:恵介、1912年12月5日 - 1998年12月30日)は、日本映画監督脚本家。本名は同じ(旧名:正吉)[1]。監督としての映画の名前の表記は1960年代には「恵介」が混在している。


注釈

  1. ^ 2019年、TBSスパークルへの吸収合併により消滅。
  2. ^ 服部卓四郎大本営陸軍作戦課長による本土決戦の基本思想のこと

出典

  1. ^ a b 1972年還暦を機に惠介を本名とした。エピソード 木下家の食通息子”. 松竹株式会社 - 木下惠介生誕100年. 2013年10月25日閲覧。
  2. ^ 浜松が生んだ天才と呼ばれた映画人 映画監督 木下惠介 生誕100年(広報はままつ2012年12月号)”. 広報はままつ. 浜松市. 2013年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月30日閲覧。
  3. ^ 長部日出雄著「新編 天才監督 木下惠介」
  4. ^ https://moviewalker.jp/mv23946/
  5. ^ 島村幸恵 (2012年9月28日). “『クレヨンしんちゃん』原恵一監督、実写映画初挑戦!生誕100周年木下恵介監督の実話描く!”. シネマトゥデイ. 2012年12月12日閲覧。
  6. ^ 「肖像」 木下惠介の全仕事 木下惠介生誕100年”. 松竹株式会社. 2013年10月19日閲覧。
  7. ^ 恩地日出夫 (1999). 「砧」撮影所とぼくの青春. 文藝春秋. ISBN 978-4163552507 
  8. ^ 白坂依志夫 (2008). シナリオ6月号別冊 脚本家 白坂依志夫の世界 「書いた! 跳んだ! 遊んだ!」. シナリオ作家協会. ASIN B003VIQBOW 
  9. ^ 三国隆三 (1999). 木下恵介伝―日本中を泣かせた映画監督. 展望社. ISBN 978-4885460173 
  10. ^ 長部日出雄 (2013). 新編 天才監督木下惠介. 論創社. ISBN 978-4846012472 
  11. ^ 山田太一 (1994). これからの生き方、死に方. 講談社. ISBN 978-4062074087 
  12. ^ 木下恵介『戦場の固き約束』主婦の友社、1987年、221-225頁。ISBN 4-07-926513-1 
  13. ^ 戦場の固き約束 1987, p. 6-11
  14. ^ 森卓也『ニッポン映画戦後50年 1945〜1995 映画と風俗でたどる昭和-平成の時代』朝日ソノラマ、1995年、54頁。ISBN 978-4257034469 
  15. ^ 木下惠介エピソード 天才は漬物が嫌い!?”. 松竹株式会社 - 木下惠介生誕100年. 2013年10月24日閲覧。
  16. ^ 石原郁子『異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に』
  17. ^ 長部日出雄『新編・天才監督木下惠介』



木下恵介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「木下恵介」の解説

映画監督脚本家三島が初の世界旅行中(アポロの杯参照)の1952年昭和27年3月パリ着いた早々見知らぬ男闇ドル屋)から銀行よりも有利に換金してやると騙されカフェの裏部屋トラベラーズ・チェック50万円分を奪われた。その窮状知った東京新聞記者通じ当時パリ滞在中だった木下恵介を紹介され三島は、木下下宿先パンシオン「ぼたんや」(日本人経営)に再発行までの1か月ほど宿泊することができ、それが縁で木下当時留学生だった黛敏郎佐野繁次郎とも交流した木下トラベラーズ・チェックを摺られたという三島に対して「あの高名な、頭のいい三島さんにも、こんな人間味のある失敗があるのかと親しみ覚えた」という。ある時、木下が、もっと国政について発言をしてはどうか、小説家日本運命の中で生きているのだから、もっとこうなって欲しいという願いはあるのではないか、と問うてみたところ三島は「小説家ってね、そんなことはどうでもいいんだ。日本の国がどうなろうと、小説家書くこと別のことだからね、僕が書きたいことはさ」と返答したという。その18年後の三島自決について木下は、「三島さんほどの人が、あのむごたらしい死を賭して言い残したことは、あの基本思想一脈相通じているように思えてならない。そして、完璧に日本人であろうとし、日本人なければ考えられない死にざまをもって自分清らかなものとして飾ろうとしたのであろうか」「なつかしい人でもあるし、思い出したくない記憶でもある」と追想している。1954年昭和29年公開の『潮騒』は、当初木下監督する予定企画進められていたが、三島が「木下だったら、どんな映画想像がつく」と述べたことから、東宝監督谷口千吉変更した

※この「木下恵介」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「木下恵介」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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