最盛期から活動休止まで(1979年 - 1992年)
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1979年に、ジョーイ・テンペスト (Vo)、ジョン・ノーラム (Gt)、ジョン・レヴィン (Ba)、トニー・レノ (Dr)らによって結成される。当時はフォース (FORCE)と名乗っていた。 1982年、フォースはスウェーデンの4000バンドあまりが出場したコンテストで優勝、ジョーイはベストヴォーカル、ジョンはベストギタリスト賞に選ばれる。また、このコンテスト優勝がきっかけでレコード契約を獲得し、バンド名をヨーロッパ (EUROPE)に改名。 1983年、1stアルバム『幻想交響詩』でメジャーデビュー。バンドの本国スウェーデンで8位にランクインする。 1984年、2ndアルバム『明日への翼』をリリース。日本でアルバムチャートの24位とヒットする。このころドラマーのトニー・レノが脱退、後任にイアン・ホーグランド (Ds)が、さらにキーボーディストにミック・ミカエリ (Key)が加入。 1986年、3rdアルバム『ファイナル・カウントダウン』をリリース。同作は全米最高8位まで上り詰め全米のみで300万枚、世界650万枚の売り上げを記録する大ヒットとなり、シングル「ファイナル・カウントダウン」は25カ国のシングルチャートで1位を獲得(日本でもオリコン洋楽シングルチャートで1987年4月13日付の1位を獲得)、全世界780万枚の売り上げを記録し、EUROPEの名前は世界に知れ渡るようになる。一方で、音楽性のポップ化が進行し、さらに「音楽以外の仕事」(アイドル的なテレビ出演など)が増えるようになり、それに疑問を感じたジョン・ノーラムが脱退。後任にキー・マルセロが迎えられた。実はこのアルバムが出る前からBon JoviはEUROPEのことをライバル視していた。日本のある雑誌でインタビューを受けた際「日本におけるEUROPEの人気はどうなの?」と聞いたというエピソードがある。 1988年、4thアルバム『アウト・オブ・ディス・ワールド』をリリース。全米では最高19位、100万枚の売り上げを記録した。これによりABBA以来の2作連続で全米トップ20入りを果たしたスウェーデン出身の音楽グループとなった。完成度の高いアルバムではあるが音楽性のポップ化はさらに推進された。同年11月26日にインド・ムンバイからツアーを開始。12月には来日を果たし、名古屋、東京、大阪、横浜の4都市計6公演をおこなった。ムンバイで6万人を動員するなど話題を呼び、ツアーは成功裏に終わった。 1991年、5thアルバム『プリズナーズ・イン・パラダイス』をリリース。前作のポップ路線とは逆にハードロック路線への回帰を図ったが、アメリカナイズされた初期の音源との相違と北欧的な叙情メロディは後退した。セールス的にも失敗に終わり、この当時契約していたエピック・レコーズとの契約も解除されてしまう。 1992年、活動を停止する。理由は度重なるツアーに疲れたバンドが休みを取ろうとしたことによるが、これがあまりにも長期にわたり事実上の解散となる。
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