最盛期〜晩年
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1963年、ロンドンに戻り精力的に制作活動を行う。翌1964年には東京オリンピック開催記念として開催された、東京国立近代美術館の「現代国際陶芸展」に出品。1967年にはリーとの大規模共同展がオランダ・ボイマンス美術館で開催され、国際的にその名が知られるようになる。 同1967年、イングランド南西部の小さな町フルーム(英語版)に移り、以後14年間住まう。1969年、ヴィクトリア&アルバート博物館におけるピーター・コリングウッドとの共同展では、コパーの作品をさらに洗練させた《キクラデスポット》シリーズを出品。これは、初期青銅器時代(紀元前3千年後半)にエーゲ海のキクラデス諸島で作られた石偶から触発されたと思われる、逆三角形と細長い筒状のフォルムを組み合わせた作品郡である。 ヨーロッパのみならず、アメリカや日本など各地の展覧会に出品し、高い評価を得たコパーだったが、1975年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断される。この時期にはすでに、話したり歩いたり、左手を使うことが困難になっていた。1980年、60歳記念「ハンス・コパー」展をヘチェンス美術館(ドイツ・デュッセルドルフ)で開催。この年、最後の作品の焼成を行う。1981年、61歳で死去。
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