最盛期とガズナ朝の侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/22 03:11 UTC 版)
「チャンデーラ朝」の記事における「最盛期とガズナ朝の侵入」の解説
11世紀初頭のヴィディヤーダラ(在位:1004年 - 1029年)の治世、マールワーのパラマーラ朝の勢力も撃退し、カラチュリ朝の勢力も破るなど、ヴィディヤーダラの治世は最盛期だった。先代に続きこの王も建築事業を行い、11世紀初めにカジュラーホーの西に建設されたカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院は、 シヴァ神の住みかとされるカイラス山を模したものと推定されている。 また、アフガニスタンのイスラーム王朝であるガズナ朝が北インドに侵入し、1018年にプラティーハーラ朝の首都カナウジが落とされた。その際、封臣のカッチャパガータ家のアルジュナに命じて、カナウジを逃げたその君主ラージヤパーラを殺害している。この理由については、ラージヤパーラがむざむざと首都を明け渡したためとされており、イスラーム教徒の歴史家イブン・アシールの著した『完史』に記述されている。 だが、1019年にはチャンデーラ朝もガズナ朝の攻撃を受け、1022年に首都のカーリンジャルが包囲された。このとき、ヴィディヤーダラはガズナ朝の王マフムードに降伏し、300頭の象を指しだし、貢納を支払うことでその独立を保った。 チャンデーラ朝は拠点をいくつか持ち、政治的な拠点としてマホーバー、軍事的な拠点としてはカーリンジャル、アジャヤガル、宗教的な拠点としてはカジュラーホーが知られ、アジャヤガルを除く3つが首都であった。 そのうち、宗教的な拠点であるカジュラーホーは、王朝の独立時から多数のヒンドゥー寺院が建設され、世界遺産にもなっている「カジュラーホーの寺院群」を築いたことで世界的に知られる。
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