最盛期と内乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/22 08:58 UTC 版)
アナンタヴァルマンはこの王朝のもっとも偉大な王で、その72年にわたる長い治世、この王朝は最盛期を迎え、北はガンジス川、南はゴーダヴァリー川に至るまでの、広大な大帝国を築いた。 また、12世紀にオリッサのプリーに現在にまで残る巨大なヒンドゥー寺院、ジャガンナート寺院(英語版)を建設したのも、彼の業績の一つである。 だが、アナンタヴァルマンの死後、1147年から1178年まで31年間、王位は空位であり、おそらくは王位継承をめぐって争いがあったと考えられる。 結局、1178年にアナンタヴァルマンの息子ビーマ・デーヴァ2世が王位につき、戦争は終結したが、この間に南西ベンガルは、ベンガル地方のセーナ朝の支配下にはいっていた。南西ベンガルは二度と東ガンガ朝の領土には戻らなかった。
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