最盛期から滅亡まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 08:17 UTC 版)
「第一次ブルガリア帝国」の記事における「最盛期から滅亡まで」の解説
シメオン1世のとき、ブルガリア帝国の領土はマケドニア地方やギリシャのペロポネソス半島北部にまで及び、第一次ブルガリア帝国は最盛期を実現したが、その後は次第に衰え、970年にはキエフ大公スヴャトスラフ1世によって占領され、971年にはキエフ軍を討った東ローマ軍によって併合された。976年には独立を回復したものの、マジャル(後のハンガリー王国)や東ローマ帝国にしばしば敗れた。986年のトラヤヌスの門の戦いから東ローマ帝国の対ブルガリア30年戦争(英語版)(968年-1018年)が激しくなり、1014年にはクレディオン峠の戦いでサムイル帝が敗走後まもなく病死、1018年、ブルガリアは東ローマ皇帝バシレイオス2世によって完全に併合し尽くされ、第一次ブルガリア帝国は滅亡した。
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