早い鋼体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:53 UTC 版)
301形各形式は鋼製車の371(601)・401(801)・831各形式の登場後も、主力車両としてこれらの形式とともに新設軌道線各線で運用されていた。しかし、乗客増と阪急神戸線、電化予定の東海道本線といったライバルを前にして、前述のとおり障害となる併用軌道区間を解消して、更なる近代化とスピードアップで対応することとした。御影付近では高架軌道に移設することで専用軌道化を実施したが、神戸市内では岩屋 - 三宮間を地下化することとなった。そこで問題となったのが、木造の301形各形式の存在であった。車体そのものはまだ新しかったが、木造車をそのまま地下線で使用するのは安全面で問題があることから、全車鋼体化改造を実施することとなった。ただ、80両もの車両を一度に鋼体化改造することは困難なため、5年間にわたって実施することとなった。 まず、1931年から1932年にかけて331形のうち20両が1001形に改造された。引き続いて1932年に291形全車を701形に、1933年には301形全車を1101形に、それぞれ鋼体化改造を実施した。また、この年の6月17日には神戸市内の地下線が開通したことによって、新設軌道線から併用軌道区間が消滅したことから、残存各形式の救助網を撤去したほか、パンタグラフの再換装が実施され、東洋電機製造製のPT-11Aに統一された。この他、321・331各形式の残存車は中央ドアにドアエンジンを取り付けた。 神戸市内地下化完成後は本線の大阪側及び支線運用に封じ込まれた301形残存の各形式であるが、1934年以降も鋼体化改造は積極的に推進され、同年に311形全車が1111形に、1934 - 1935年にかけて321形全車と331形のうち10両が1121形への鋼体化改造を実施された。残る331形10両も1936年に1141形への鋼体化改造を実施、ここにおいて阪神の新設軌道線の営業用車両の鋼体化は達成された。これは地下化という要因があったとはいえ、当時の鉄道会社としては画期的な事業であった。 鋼体化に際して余剰となった車体は、331形の車体のうち4両分が大改造を受けて、「アミ電」こと121形となった。また、車庫内において倉庫や詰所などに有効活用されたものがあったほか、331形の車体のうち2両分が木南車輌製造の手によって改造のうえ南武鉄道に売却されて、同社のサハ200形201・202となった。同社線の国鉄買収後も在籍していたが、1947年に廃車された。
※この「早い鋼体化」の解説は、「阪神301形電車」の解説の一部です。
「早い鋼体化」を含む「阪神301形電車」の記事については、「阪神301形電車」の概要を参照ください。
- 早い鋼体化のページへのリンク