1001形
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1931年に331形331 - 340を種車に1001 - 1010の10両が大阪鉄工所で鋼体化改造を実施され、1932年には357・358・369・370を種車に1017 - 1020の4両が田中車輌で、1932年から1933年にかけて1011 - 1016の6両が341 - 346を種車に川崎車輌においてそれぞれ鋼体化改造を実施された。 本形式は連結面を広幅貫通路で結んだ2両固定編成で、車体は全長約12.5m、車体幅約2.4mである。客用扉は片側2箇所で、乗務員扉も設けられた。前面は非貫通で中央が少し縦に長い3枚窓で、左側に通風口を、右側に方向幕をそれぞれ装備していたほか、屋根上にはヘッドライトを、車体前面裾部にはアンチクライマーを取り付けていた。種車より車体長が1m前後短くなっているのは、正面5枚窓だった種車の運転台部分の丸みの強い部分をショートカットしたためである。また、連結面の広幅貫通路は1934年に登場した阪急920系電車でも採用されたが、本形式が3年さきがけて広幅貫通路を取り付けていたことはあまり知られていない。 増備車の外観状の変化としては、1017 - 1020以降に登場した車両はウインドシルが段付きになったほか、1011 - 1016ではウインドシル・ヘッダーが連続して巻かれるようになった。また、1011 - 1016では連結面が切妻に変更されたほか、前面が折妻だったのが緩やかな曲線を描くように変更された。これらの小変更に伴い、屋根の形状も変更されている。 集電装置は、1001 - 1010の登場時はパンタグラフ化の過渡期であったことから、運転台側にシングルポールを、連結面側にパンタグラフを搭載していたが、1017 - 1020以降に登場した車両は当初から運転台側にパンタグラフを搭載した。1933年に1001 - 1010もポールを撤去してパンタグラフを運転台側に移設したが、その際、パンタグラフを全車PT-11Aに統一した。この他、併用軌道区間を走行する関係で前面に救助網を装備していたが、神戸地下線開業前に救助網を取り外して、全車トムリンソン式密着連結器を取り付けた。 台車及び電装品は種車のものを活用して、台車はボールドウィン75-25Aを履き、主電動機はゼネラル・エレクトリックGE-203Pを4基搭載し、制御器は同じくゼネラル・エレクトリック製の電空カム軸式制御器であるPC-5を装備した。また、1017 - 1020の4両は電気ブレーキの試験車として、1017・1018の制御器を東洋電機製造で、1019・1020は芝浦製作所でそれぞれ改造され、マスコンが力行3ノッチ、制動5ノッチのものに取り替えられた。この他、1015・1016の2両はブレーキシューを抱き合わせ式に改造している。
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1001形(初代)
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1920年から1921年にかけて1001 - 1080の80両が製造された。
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