戦前の代表車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 07:00 UTC 版)
「大阪市交通局1001形電車」の記事における「戦前の代表車」の解説
残った1081形は両数も170両とボギー車の中では最大勢力を誇り、市電全車庫に配属されて各車庫の幹線系統を中心に運行されたことから、市内で幅広く見られる車両となった。その後、1941年には1001形(初代)の空番を埋める形で1001形1001 - 1170に改番された。 しかし太平洋戦争末期の大阪大空襲では、今里車庫以外の全車庫と福町車両工場が被災したことなどによって半数近い73両が焼失した。その後、1949年には戦災車の欠番を埋める形で、残存車両を1001 - 1097に改番した。この他の変化として、戦時中から戦後にかけて、ベンチレーターの個数を従来の片側6個から3 - 4個に減らした車両も存在したほか、おわん型ベンチレーターをガーランド型ベンチレーターに換装した車両も登場した。また、窓ガラスも戦中戦後の資材不足の時期では割れても補充が追いつかなかったことから、アーチのない飾り窓に取り替えられた車両も現れた。
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