戦前の創作活動
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1926年(昭和元年)に商業補習学校を卒業して岡崎市内の銀行に就職したが、20歳の時にポリオ(急性灰白髄炎)に感染したことがきっかけで銀行を退職した。1927年(昭和2年)には友人とともに短歌同人誌『細民街』を発行し、病気の悩みや悲しみを短歌に託した。1931年(昭和6年)6月には歌集『暗愁』の私家版を発行し、児童文学作家の小川未明から「静かに燃える炎、冷たく澄んだ空の下に咲く赤い花」という感想をもらった。 1936年(昭和11年)5月、蘆谷蘆村が率いる日本童話協会が『日本童話集』を発行した際には、島崎藤村、相馬御風、浜田広介、小川未明などと並んで遠藤栄の創作童話「立上る」が収録された。1937年(昭和12年)2月には児童文学の同人誌『童心の花』を発行した。1938年(昭和13年)には詩集『若い友に』を上梓したが、特高警察からアナーキズムの発現を指摘されて没収された。 1940年(昭和15年)頃には詩人の野村吉哉が主宰する「童話時代」に参加し、同年7月には回覧誌『兄弟』第15号の編集を担当した。同年秋に愛知郡天白村八事(現・名古屋市天白区)に転居した。1942年(昭和17年)7月、東京の出版社から童話集『兵隊さんと花』が出版された。1943年(昭和18年)4月には四海書房から渡辺崋山の伝記『渡辺登の生涯』が出版され、同年8月には清水書房から童話集『子どもの町』が出版された。太平洋戦争の戦局が悪化した1944年(昭和19年)には、妹の遠藤稲子とともに西加茂郡三好村(現・みよし市)大字三好上に疎開した。
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