1001形(初代)の鋼体化改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 07:00 UTC 版)
「大阪市交通局1001形電車」の記事における「1001形(初代)の鋼体化改造」の解説
先述したように、1001形(初代)は車体の垂下や緩みに悩まされていた。そこに1924年から営業を開始した民営の大阪乗合バス(青バス)との競争が激化し、更に昭和初期からは市バスも入ってきて三つ巴の競争が繰り広げられるようになった。こうしたことから市電の収益は低下、1931年には開業以来初の赤字決算となり、翌1932年には赤字幅が増大してしまった。こうしたことから大阪市電気局においても市電の経営合理化を迫られるようになり、人件費のかかる車掌2人乗務の3扉大型車を走らせるより、幹線以外の系統では少ない乗客に対応した2扉の中型車でバスを迎撃する方針に転換した。そこで、事故で車体を焼失した1044号の台車・電装品を活用して、1932年に中型ボギー車の801形への鋼体化改造を実施した。801形への改造は人件費や修繕費の節減につながり、合理化に寄与するだけでなく、車体の前後端を絞ったデザインが当時海軍が所有していた水雷艇に似ていたことから、市民から「水雷型電車」というあだ名を授けられるくらい親しまれるなどイメージアップにも一役買ったこともあったために鋼体化改造は鋭意推進され、80両全車が1936年までに801形と901形と同じ流線型の858形に改造され、1001形(初代)は消滅した。
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